米のあれこれ 3 <もち米や黒米>

最近は日本でも、一昨日の記事の東南アジアの市場のようにさまざまな銘柄のお米を自由に選べるようになりました。


それは主食として食べるいわゆる「うるち米」の種類の多さですが、東南アジアで暮らしてみるとそれ以外の米の種類の多さや用途の多さに、同じ米を食べる文化でも世界は広いことを感じました。


<もち米を日常的に食べる>


まず驚いたのは、もち米を日常的に食べていることでした。


リンク先のWikipediaの説明には以下のように書かれています。

主に日本、朝鮮半島、中国、フィリピン、タイ王国ラオスインドネシア、インド、ベトナムミャンマーなどで栽培されている。タイのイーサーン地方やラオスでは主食とされ、ラオスでは米の生産割合の85%を占める。照葉樹林文化に属する地域では、しばしばハレの食材としての役割を持つ。


年末年始に祖父の家に泊まりに行くと、お正月用に餅つきをして楽しかった記憶があります。また、自宅でもお祝い事になると母が手をかけてお赤飯を作っていましたから、私にとってはもち米というのはやはりどこか「ハレの日」の米でした。


難民キャンプで働いた時、もち米はふつうにおやつとして食べることになりました。
10時ごろになると、大きな竹のざるにたくさんのお菓子をのせて、キャンプ周辺の村の女性たちがおやつを売りにきました。
Wikipediaの「もち米」の「ギャラリー」に「バナナの葉に包んで蒸したもち米」の写真がありますが、ココナッツミルクを混ぜてほんのりと甘いそのもち米のお菓子です。


主食がややパサパサしたお米であるのに対して、おやつはずっしりと重いもち米を食べることで、私にはなにかバランスをとっているような感じでした。


ところが、タイを旅行した時には、一日中もち米を食べることもありました。
今でこそ日本にも浸透したタイ料理ですが、1980年代半ばに初めてあの竹筒で蒸したもち米を主食として食べることを知った時には、お米を食べる文化の多様性に驚きました。


お赤飯やおこわとも違い何も味付けのないもち米ですが、なんともよい香りに食欲をそそられます。今でもタイ料理を食べに行くと必ず注文しています。


<黒米>


最近は、玄米や胚芽米というとちょっとおしゃれなイメージで広がっていますが、私が子どもの頃はまだ栄養的に白米だけではビタミン不足で脚気になるからと、玄米を混ぜたり麦を混ぜたご飯を時々食べていました。
1970年代ごろになると肉や魚の副食が増えて、いつのまにか白米だけのご飯になったように記憶しています。


お赤飯や炊き込み御飯を除けば、私にとってご飯というのは白米でしたから、黒っぽいご飯を初めて口にした時にはおそるおそるという感じでした。


記憶がだいぶあやふやになっているのですが、それは1990年代初めの頃に東南アジアでホームステイをして少数民族の地域を行き来していた時だったように思います。
1980年代半ばに東南アジアに暮らした時には、現地の周囲の友人が食べている様子を見たことはありませんでした。


香りが良くて、それはそれはおいしいお米でした。
友人によれば、それは少数民族の村などでしか栽培されていない貴重なお米だとのことでした。
「赤い米」というニュアンスの名前を教えてもらいました。
でもWikipediaを読むとむしろ赤米ではなく、黒米のようです。



そして水田で栽培されるのではなく、陸稲だと教えてもらいました。そこに住んでいるあいだに黒米が栽培されている様子を見たいと思っていましたが、かないませんでした。
黄金色に輝く穂ではなく、赤紫色の穂が一面に広がっているのでしょうか。
カゼクサやセイバンモロコシのような薄紫色のイネ科の雑草のように。



最近では五穀米など一緒に炊くとご飯に色がつく種類もありますが、1990年代はまだ日本では手に入らず、わたしにとっては「幻のお米」という感じでした。


Wikipediaの黒米の説明で「日本では1989年以降進められた農林水産省により品種改良が進められた」とあります。
もしかしたら1980年代に入り、日本人が気軽に東アジアや東南アジアに出かけるようになって、この黒米の美味しさに開眼して需要がたかまったのかもしれませんね。






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