白菜

9月に入るとボチボチと白菜が出回り、暑さに疲れた胃がなんだか喜ぶかのように、白菜を食べたくなってきます。



白菜で好きな料理の筆頭はなんと言っても白菜と肉団子のスープですが、もう少し気温が下がらないと作る気になれません。


9月から10月頃までの白菜の料理と言えば、白菜のサラダです。
縦に千切りにして、林檎やニンジン、ハムなどをやはり千切りにしたものをフレンチドレッシングで和えただけのシンプルなものですが、食欲が進みます。


切り方も、鍋料理とは違って縦に薄く千切りにするところがポイント。
きゅうりの千切りは、斜めに切ると別物になることで目から鱗でしたが、この白菜の千切りはずっと子供の頃から母がそうしていました。


つい最近、友人と食事にいったお店に「白菜のサラダ」があったのですが、「白菜を生で食べるの?」と友人が驚いたことに、こちらも驚きました。
子供の頃から白菜のサラダを食べていたので、日本では当たり前なのかと思っていました。


「白菜の漬物だってあるくらいだから、生でも食べられるし、おいしいよ」と言うと、「いや、漬物は別だし・・・」と納得がいかない様子。
彼女は白菜といえば鍋料理など火を通す食材として食べて来たようです。



でも、野菜を生で食べられるようになったのは最近のことなわけで、母もきっと1960年代頃に「ちょっとおしゃれな料理」としてこの白菜のサラダを取り入れたのだろうと思います。


漬物や鍋などに入れた料理としてであれば、昔からの日本の野菜だと思っていましたが、Wikipedia白菜を読むと、案外、その歴史は浅いもののようです。


ハクサイは日本料理の食材として多用されているが、日本で結球種のハクサイが食べられるようになったのは、20世紀に入ってからである。江戸時代以前から日本には度々渡来したが、いずれも品種を保持できなかった。これは、現在でも育種家の課題であるハクサイの強い交雑性が原因と考えられている。

アブラナ科の植物は、近縁他種の花粉で受粉し交雑種を作りやすい特徴を持ち、交雑によって生まれたハクサイは、特に継続した採種が困難だった。明治時代初期には政府によって本格導入されたが、ほとんど失敗した。唯一、愛知県栽培所で山東白菜の系統維持に成功したが、これは半結球種だった。

明治から大正にかけて現在のような結球する白菜ができ、昭和に入って軌道に乗ったようですが、「第二次大戦後に生産量が急拡大した際、連作障害による被害が拡大したが、これに対抗する耐病性育種も進んだ」とあります。


本当に長い試行錯誤の時期があって、今のように当たり前のように買って食べることができたのですね。


白菜の普及についても興味深いことが書かれています。

普及のきっかけとして、日清・日露戦争に従軍した農村出身の兵士たちが現地で食べた白菜の味を気に入って持ち帰ったからと言われているが、各地で栽培が試行されたもののほとんどは品種維持に失敗したと見られる。


どんな料理で白菜を恋しく思ったのでしょうか?
もしかしたら、ラーパーツアイだったかもしれませんね。
いくらでも食べられてしまいそうな、白菜無しには生まれてこなかった料理ではないかと思います。


白菜がなかったら、現代の食卓はどんなに寂しいものになっていたことでしょうか。