食べるということ 71 キャベツの千切り

時々孤独のグルメの再放送があるので、見逃してしまわないように番組表を真剣にながめて録画予約をしています。

 

最近観たもので、「キャベツ大好き、キャベツが無ければ俺はトンカツを食べない」という五郎さんの心の声に、強くうなずいたのでした。

ほんと、キャベツの千切り、もし世の中にあれがなかったら日本の「洋食」は発展しなかったのではないかぐらいに思いますね。

 

生野菜を安全に食べられるようになった時代というのはごく最近ですが、1960年代には揚げ物も家庭でご馳走として料理され始めたので、付け合せとして当たり前のようにキャベツの千切りを食べていた記憶がありますし、学校の調理実習でも作った記憶があります。

五郎さんがワシワシとキャベツの千切りを食べる様子を観ながら、その歴史が気になりました。

 

*キャベツの千切りは日露戦争以降らしい*

 

検索したらすぐに、「トンカツにキャベツ コック出兵で変わった食卓」(「本日入荷 おいしい話」2013年4月12日)という記事がありました。

 

銀座の煉瓦亭でポークカツレツに温野菜をつけて出していたものが、日露戦争で若いコックが出兵したことで生まれたとあります。

そんな状況を一変させたのが、日露戦争(1904〜1905年)だった。本田社長は祖父から聞いた話として振り返る。

「若いコックが兵役にとられてしまったのです。それまで付け合わせを担当していたコックがいなくなり、祖父は困ってしまった。手間がかからないものにしないと、人手が足りない。そこでヒントにしたのがキャベツの一夜漬けです。一夜づけで食べられるなら生で食べてもおいしいのではないか。早速試食してみたところ、これはいけると思ったそうです。

 

省力化のためやむなく始めたキャベツの千切り、「生野菜が出てきて初めは驚いていた」という客も、食べて納得。「口がさっぱりする」と好評だった。揚げ物と生野菜の組み合わせは、日本人の味覚にあっていたのだ。ソースとの相性も絶妙だった。 

 

ただし衛生面の問題から、生野菜が一般家庭でも食べられるようになるのは東京オリンピック以降。それまで日本ではふん尿をそのまま畑にまくことが多く、寄生虫などの問題があった。戦後になってGHQ連合国軍総司令部)が化学肥料や堆肥の使用を指導するなどしてようやく生で食べられる野菜が一般家庭にも普及していった。 

 

 

単純な調理方法のようで、その時代その時代の偶然や物の改良が重なり合って食べられるようにたった、一世紀の変化だったのですね。

 

 

 

*2021年5月31日追記*

 

settu-upさんからブックマークをいただき、煉瓦亭のキャベツの千切りの話はどうも俗説というか誤りのようです。その反省を記憶と物語として書きました。

 

 

 

 

 

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