助産師の世界 3 <会陰裂傷縫合術は許されているのか>

ブログを書き始めた頃に、「助産師の世界」のタイトルで書き始めた記事が2つありました。
6年ぶりの記事です。


右欄に「助産師の世界」のタグがありますが、そちらは代替療法などを積極的に取り入れる不思議な助産師ワールドの話も含まれています。
こちらの「助産師の世界」は、どちらかというと周産期医療の中での政治的な話かもしれません。


さて、案外狭いのが助産師の世界で、びっくりするような話が耳に入ってきます。
現実に助産所で、助産師による会陰裂傷縫合が行われているという話でした。



助産所で出産した助産師らしいので、「縫合された」話は事実だろうと思います。
そして助産師が「縫合」という言葉を使った場合、裂傷1度に対するクレンメという金具で表層と留める処置と混同することはないと思います。一般の方々なら、そのあたりよくわからずに用語を使ってしまうかもしれませんが。


私はまだ、助産師に会陰縫合術が許されたという話は聞いていません。



そして「自然なお産」の中では、「私たちは医療行為ができません。だから自然な経過を大事にしたお産をします」と主張して来たのに、今の日本では医師にのみ許されている縫合術を医師のいない助産所で実施しているのはどうしてなのでしょうか。


しばらく、そのあたりを考えてみたいと思います。



<医療行為の法的根拠>


今年1月に、「資格ない技士にX線操作させた疑い 医師を書類送検」というニュースがありました。「整形外科手術の際に、放射線を照射することが認められていない臨床工学士にX線装置を操作させた」として医師が診療放射線技師法違反の疑いで書類送検されたという内容でした。


おそらく、日頃からその手術に入っている臨床工学士であれば照射方法なども見よう見まねで知ってたのかもしれませんが、医師がいないところで単独でX線装置を操作したわけではなく医師に指示されて実施しても、あるいは健康被害がなくても、診療放射線技師法という厳然とした法律の前にはこの行為は違法とされることになります。


放射線技師法に関してはよく知らないのですが、看護職や助産師も「その職種にどこまで許される医療行為なのか」「医師の指示のもとにどこまで実施できるのか」というのは、グレーゾーンがたくさんあって法整備があとでついてくるという印象が、40年ほどの医療現場を見ていてもあります。
その代表的なものが静脈注射で、1951年に「静脈注射は医師が行うべき」であったものが2002年には「看護師等による静脈注射は診療補助行為である」という厚生労働省医政局の通達で法的な根拠が変更になりました。


それまでの半世紀の間も、全ての静脈注射を医師が実施していたわけではなく、1980年代には市中病院では医師の指示のもとに看護師が静脈注射をしていました。



<医師がそこにいるということ>


医療行為が診療補助介助になるかどうかは、社会の必要性や安全性という議論を重ねてグレーゾーンから法的な根拠ができあがっていくのだと思います。


ですから、助産師に「会陰裂傷縫合が法的に認められていないが実施されている現実」は、必ずしも違法ではないという解釈もあるのかもしれません。
ただ、血管確保の例と会陰裂傷縫合の大きな違いは、「医師がいる場所で行われているかどうか」「その医療行為の侵襲性はどうか」という点あたりにあると思います。



これまでの助産師の役割拡大を求める動きは、「医師がいない場所での分娩介助」を死守する運動とも言えます。


「医師との緊密な連携が取られている状況下では裂傷2度までで母子が安定していれば助産師が会陰裂傷を縫合できるものと思われた』と報告されている」という報告書があるようですが、「裂傷2度になるかもっと複雑な裂傷になるかどうか」「母子が安定しているかどうか」はそれこそ終わってみないとわからない話です。


30年ほど分娩介助をしてきましたが、「このお産は裂傷2度以内にできます」「このお産は母子とも安定した状態に必ずなります」という予測をたてることはで私にはできません。
10年やってわからなかった怖さを20年やって知るのがお産で、「こんなことも起こるのか」という怖さを知るこの頃。
産科医がそばにいても一瞬で修羅場になりますからね。



ああ、でも最近助産所で出産する助産師は20代から30代ですから、「看護師さんたちの内診では刑事事件にまで世の中を動かすのに、自分たちの医療行為には法的根拠は求めない」、あの2000年代の危機感もすでに昔話になってしまって、「これからの助産師は縫合ぐらいできなきゃ」という動きがまたどこからか沸き上がってくるのかもしれません。


私にはとても、「縫合なんて助産師にだってできる」「私にも縫合させろ」なんて怖くて言えないですね。
そこまでの知識がないことがわかっているので。


こうしてまた、医師のいない助産所で働く助産師はすごいという憧れと、助産所を守れという動きが助産師の世界のどこかに残り、くすぶっていた火が勢いをつけるかのように時代が繰り返されていくのでしょうか。