助産師の世界 1   <助産師に感じる違和感>

私自身は外科系看護に関心があって看護師になりました。
なぜかわからないのですが、正直なところ学生時代は産婦人科の授業と実習が一番苦手でした。
助産師という資格についても全くといってよいほど関心がありませんでした。


そんな私が海外医療援助に関わる中で、途上国の母子保健の重要性から助産師の資格をとりました。
当時はまだ大学の助産のコースはほとんどなかったので、看護学校卒業後に1年の助産婦学校で国家資格をとる方法が主流でした。
看護師として勤務したあとに助産師として働いてみると、たった1年の教育の違いでこんなにも方向性が異なるものなのかという違和感を感じることがけっこうありました。
もちろん私も一時は「自然なお産」にはまりかけたので、自らを反省しつつ、違和感とは何か書いてみようと思います。


<医師のいないところでの助産師の仕事とは>


海外医療援助の中でできた私の助産師のイメージというのは、医師が充足していない社会で分娩に責任を持ち「伝統的産婆よりは医学的知識がある」という途上国の助産師であり、またそういう無医村で働く欧米の援助団体の助産師でした。


海外の無医村の地域で看護師や助産師、時には無資格のヘルスボランティアが医師の替わりにプライマリーヘルスケアを担う必要があってもそれは医師がいないからであって、住民は医師や病院施設を心から待ち望んでいました。
日本だって同じだと思います。


日本では産科医や小児科医がいないような無医村は、本当に限られた地域です。
医師がいるところでは当然、医療の枠組みの中で医師の診断・治療方針に基づいて働くのが看護職であるということは、看護師として働く中で当然の姿勢だと思っていました。
ですから助産婦学校で「正常な分娩は助産師だけでとることができる」と教えられ、卒業してからも分娩入院の判断から分娩介助まで問題がなければほとんど判断を任されていましたが、あくまでも医師とともに働き医療の枠組みの中での産科専門の看護職の位置づけとして受け止めていました。


ですからここ10年ほど、産科医や小児科医がいる日本であえて途上国のように助産師だけで分娩介助することを「自立・自律した助産師」と表現し強調することにはとても違和感があります。


<周産期看護のスペシャリストとしての助産師>


そして昔のように自宅で出産が行われていた時代には異常になればそこで助産師の出番は終わりでしたが、現代の病院ではたとえ途中で異常になっても出産が終わるまで私たちはその産婦さん、赤ちゃんと共にいることができます。
切迫早産で長期入院するような方の出産にも関わることができます。
帝王切開になった方のそばにいることもできます。


看護師の資格があるからこそ、周産期看護のスペシャリストとして正常異常の枠に関係なく「全ての妊産婦さん」に関わることができるのが現代の日本の助産師であり、自分自身としてはとてもやりがいを感じていました。


ところが、最近の助産師の方向性は違うのですね。
こうして周産期看護のスペシャリストとして育ってきた助産師を、「正常な分娩だけをとる人」に本気で戻そうとしている動きが目立ってきました。
そしてそれは今に始まったことではなく、明治時代にさかのぼって「正常分娩」に関しては医師と同等の能力を持っている、いやむしろ正常分娩に医師は手を出すなと強く思っている人たちが脈々と続いてきていたことにようやく最近気づきました。


助産師を目指す人たちがイメージするもの>


看護学校を卒業してしばらくしてから進学した助産婦学校では、助産婦を目指して看護学校から進学してきた同級生とは大いに温度差がありました。


なぜ助産婦を目指しているの?という問いに、同級生の多くが「看護学校での実習で、産科実習が一番楽しかったから」「産科は赤ちゃんの誕生で明るかったけれど、他の病棟は病気の人で暗かったから」ということでした。
うろ覚えなのですが、なぜ助産師を目指したかというアンケート調査がありました。
その中でも「出産場面をテレビやビデオでみて感動した」など「感動」や「喜び」が動機になっているという結果だったと記憶しています。


私自身は、どちらかというと疾患と看護、疾患からの回復過程、あるいは救命救急に関心があり看護師としてのやりがいも感じていました。
卒後働いたいくつかの総合病院は、産婦人科と小児科、産婦人科と内科などの混合病棟でしたが、ストレートで助産師になった同僚や後輩たちは、どうも産科以外の看護はとても苦手という人が多かった印象があります。
婦人科の術後看護や婦人科のがん患者さんへの化学療法や緩和ケアなど、たしかに周産期医療とはまた違う専門性を必要としますが、「家族やコミュニティを対象とした助産師の業務は、女性の健康、セクシャルヘルス、リプロダクティブヘルスへと拡大している」という2005年ICM「助産師の定義」を取り入れ更年期まで助産師の業務にしようとするであれば、混合病棟で得る経験もまた大切だと思います。


おそらく助産師の教育の中では「正常な分娩」、つまりうまくいくことが前提の中で働く助産師像のようなものが強調されすぎているのではないかと思います。
「自然なお産」「あたたかいお産」などに感動して自分の将来の姿を重ね合わせて卒業した助産師は、実際に働き出してからのリアリティショックが強くなることでしょう。


地道に経験を重ね異常への対応もできるようになれば、それこそ自然と「自然な経過をみる余裕」も、産婦さんや家族にあたたかい一言をかけられる余裕もできてくることでしょう。
病院だろうと診療所だろうと、分娩台の上だろうと、あたたかいお産というのは可能なのです。


「こんなのは自分が求めていた助産師の仕事ではない」とたくさんの民間療法やら資格を取り込んで自分の城を築いても、それは砂上の楼閣になってしまう可能性があるのではないでしょうか。


分娩は母子二人の救命救急。
お産に感動して助産師になろうと入学してきた学生のためにも、教育の段階で教えるべきもっとも大事なことではないかと思います。


不定期ですが、私が違和感をかんじている助産師ワールドを書いてみたいと思います。