トマト

トマトは小さい頃から身近な野菜でした、そう半世紀以上前から。


今も好きな野菜のひとつです。
子どもの頃は、こんな暑い日のおやつはトマトで、塩やウスターソースをつけてガブリと丸かじりしていた記憶があります。
トマトは野菜でもあり果物でもありといった感じ。


家族みんなで丸ごとガブリとしているのですから、1回に数個のトマトが消費されます。
最近では比較的安い時期でも1個90円前後はするので、当時はそんなに贅沢に食べていたのだろうかとちょっと怪しい記憶になっていますが、子どもの頃は八百屋さんの店頭に数個ぐらいが山盛りになっていて、それほど高い野菜だった記憶はありません。


20代のまだ少ない給料で生活していた頃も、トマトというと袋詰めになったものをどーんと買っていました。
最近の方が、むしろトマトは「高い野菜」という印象です。
散歩をしている途中、無人販売の畑で1袋100円とか150円で売られていると思わず買いたくなるのですが、歩くためには身軽な方が良いので断念しています。


Wikipediaトマトの「生産・需要」に、「トマトの作付け面積は、1985年頃から減少傾向にあり、ピーク時の75%程度にまで落ち込んでいる」「これは飛躍的な増加を見せた1960年代後半以前のレベルである」と書かれているので、もしかすると子どもの頃はちょうどトマトの生産量が急増して安く食べられる時期だったのかもしれません。
そして、私の20代を境に生産量が減少する時期に入ったようです。


ただ、おそらく品種が増えたり1年中流通し、多様な食べ方になっていったということであって、トマト離れというわけではないことでしょう。


<トマトはどこでもあった>


1980年代半ばに東南アジアで暮らすようになった頃、当時、今ほどエスニック料理は日本社会に広まっていなかったので、「現地の食べ物はどんなものだろう。慣れるだろうか」と不安でした。
ところが難なく食文化に順応した理由の一つに、トマトがあったからかもしれないと思い返しています。


最初に驚いたのはそのサイズでした。
ちょうど日本でもプチトマトが広がり始めていましたが、市場に売られているトマトはそのサイズだけでした。「日本ではこれはプチトマトで、普通のトマトはこれくらいの大きさ」と手で説明すると驚かれました。


調理方法にも驚きました。今でこそ、トマトを加熱することも珍しいことではないのですが、80年代の日本ではトマトは生で食べるもので、トマト味ならケチャップかトマト缶を使うのが一般的だったのではないかと思います。
細かく刻んでニンニクやタマネギと炒めてスープにしたり、卵焼きにしたり、現地の料理の虜になって行きました。
トマトのおかげです。


そしてその東南アジアから、水もない、緑もない、そして市場に何もないソマリアへ移った時にも、トマトが味のベースになったパスタやピラフにどれだけ励まされたことか。
ほんと、トマトは偉大な野菜だと思いました。


<トマトの生活史を知らなかった>


先日、相葉マナブ君の録画を観ていたら、トマトは10mぐらいまで成長するという話をしていてびっくりしました。
実際に、ビニールハウスの中で、ロープを少しずつ上に伸ばしてトマトを縦方向に固定している様子がありました。


子どもの頃から畑にトマトがなっているのを当たり前のように見ていたはずですが、ジャックと豆の木のような成長をするなんて初めて知りました。
本当だ。Wikipediaの「植物的特性」にも、「1本仕立てで1年間の長期栽培を行うと、その生長は8メートル・10メートルにも達する」と書かれています。


いやはや、知らないことばかりですね。