反動から中庸へ 10 市場と道の駅

「市場」は、「しじょう」ではなく「いちば」の方です。

長井市場食堂の横に、野菜や魚などを扱うお店もありました。

思わずふらりと立ち寄りたくなりますね。

 

1980年代に初めて東南アジアで暮らしてから、公設市場的な場所が大好きになりました。

 

市場に行くと、野菜や果物、魚や肉がそのまま山盛りになって売られていて、その喧騒もまた楽しいものでした。

服やら身の回りのものやら、そしてカットまで、その大きな一つ屋根の公設市場で済んでしまうという便利さです。

 

同じ頃、日本には大きなスーパーマーケットが増え始め、高級な食品を扱う店も増え始めた頃でしたから、私はどちらかというと「私企業が巨大化して発展していくスーパー」と「経済が未熟な地域の管理の不十分な公設市場」という捉え方をしていました。

 

最近は、もしかしたら買い物の手段も、新しいものは古くなり、古いものは新しいものへと変化しているのかもしれないと感じることがあります。

 

*道の駅と市場*

 

私が子どもの頃に住んでいた地域は、商店街の個人商店で物を買うのが一般的でした。米は米屋さん、野菜は八百屋さんというように。

「市場」というものは身近にありませんでした。

高校生の修学旅行で朝市に行ったのですが、「すごく古い販売方法が残っている」ことに驚いたのでした。

その頃住んでいた地域では2階建の大型のスーパーができ始めていた頃で、「大きなエスカレーターのあるお店」が最新でしたから。

 

再び都内で暮らすようになって、築地場外市場に行ったことがあり、むしろ都会のど真ん中にあるその場所が、初めて「市場」に行く機会になりました。

 

1980年代に東南アジアで公設市場を見たときに、あの朝市や築地場外市場と重なって、なんだか懐かしいような印象がありました。

 

それから20年ほど経って、母の運転で3人でドライブし始めた頃、母が好んで立ち寄る場所に道の駅がありました。

ドライブ中の休憩になるだけでなく食事もでき、その地域で採れるものや食品などがこまごまと並んでいて見ているだけで楽しいですし、ついつい買ってしまいます。

生産者の名前が書いてあったり地元の人を雇用して、地域にもお金が循環するのでしょうか。

車を持たない私はその時に初めて、道の駅を知りました。

 

そしてそれが国土交通省によるものだと知って、東南アジアの公設市場を思い出したのでした。

私が東南アジアの市場に惹かれ始めたその同じ頃に、母は国内の道の駅に惹きつけられていたようです。

 

その後、「マルシェ」という言葉を耳にするようになり、何語かわからないけれど「マーケット」の意味だろうとぴんときました。フランス語なのですね。

 

国を超えて、やはりあの物や人が集まる空間に惹きつけられていくのかもしれないと思いました。

 

 

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