散歩をする 135 酒田と最上川

酒田市を選んだ理由は、10代の頃からなんとなく記憶にある地名だったからでした。

最初は「酒田大火」だったかもしれません。わたし自身が隣で火事を経験した数年後のようですから、恐怖とともに印象に残っていたのでしょうか。

酒田大火によると、「1976年(昭和51年)10月29日に山形県酒田市で発生した大火。この火災で酒田市中心部の商店街約22万5000㎡'22.5ha)を消失した」「戦後4番目の大火である」とあります。

 

その後、観光の話題などで山居倉庫周辺や落ち着いた街並みを見ていつか行ってみたいと思っていたところ、昨年9月にブラタモリで酒田について放送がありました。

川沿いの巨大な倉庫の中には膨大な量の米!最上川上流域の米を江戸に送り込む重要な場所だった酒田、その繁栄のシンボルが豪商・本間家。部屋数23の大邸宅と工夫を凝らしたインテリア、庭に集められた全国の名石。ご子孫も登場してタモリさんもびっくり!強風に晒される酒田の港の弱点を克服する秘密は沖合39キロにある「飛島」に。高さ40メートルの垂直で巨大な岩が風よけとなり、まさかの時の避難港になっていた。 

 

番組の詳しい内容は忘れてしまったのですが、この飛島のある地形を見てみたいものだと、一層、酒田市のことが記憶に残りました。

 

秋田を午後4時過ぎに出発すると、午後6時ごろに酒田に着くようです。夕方市内を散歩して、翌朝ももう少し歩いてみようと大まかに計画しました。

 

*秋田から酒田まで*

 

秋田市を出ると、しばらく広大な水田地帯を列車が走ります。このあたりもようやく田植えが始まった田んぼがちらほらあるくらいです。

どの用水路も水が滔々と流れて、これを眺めるだけでも来た甲斐があります。

 

秋田新幹線の大曲のあたりから見えていた雪の残る山が少しずつ近づいて、仁賀保駅では間近に見えるようになりました。

山頂がうっすらと雲に隠れている姿は、まさに秋田富士とか庄内富士と呼ばれるように、まるで6合目ぐらいから上に雲がかかった富士山のようです。

手前の山々だけでなく、この鳥海山の雪解け水もまた米どころを作ってきたのでしょうか。

 

ずっと鳥海山に見守られるかのように列車は走り、どのあたりからだったか沖合にうっすらと飛島が見えました。

想像していたよりは遠くにある島でした。そうですよね、沖合い39kmなのですから。

 

酒田に近づくに連れて、夕日が日本海に傾き始めていました。

まだ日没までには時間があったので、市内を流れ酒田港に続く新井田川沿いを歩き山居倉庫のあたりまで歩いてみました。

ずっと鳥海山が色を変えながら見えていました。

 

日和山公園と最上川河口*

 

翌朝、5時前に目が覚めてカーテンを開けるとそこには朝もやの中に鳥海山がくっきり見えました。

コーヒーを飲みながら、2時間ほど刻々と変化する鳥海山を眺めました。

酒田駅も眼下に見え、始発の電車や回送電車が動き始めていました。静かな朝です。

 

7時半にはホテルを出て、日和山公園を目指しました。

地図で見ると新井田川の河口が酒田港になり、その向こうに並列して最上川の河口があります。

それが一望できたのでした。

 

途中に井上靖氏の石碑が立っていて、ここを訪ねたときに「風が強くて誰もいなかった」ということが書かれていました。

 

八郎潟から新潟を訪ねた2日間はほとんど風がなかったのですが、八郎潟を回るときにも地元の方が「雪よりも風が大変」とおっしゃっていました。八郎潟には植樹されて半世紀をすぎた大木があちこちにあったのですが、ほとんどが風でやられてしまい、残っているのはごく一部だとのこと。

 

日本海も波もなく穏やかでしたが、風との闘いはどんな感じなのだろう。

やはり何度か季節を変えて足を運ばないとわからない暮らしですね。

 

 

最上川の河口は広く、ゆったりと川が流れていました。

 

 

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