夕方にかけて風は涼しくなりましたが、18時でもまだ34度あり、歩くと汗が吹き出してきます。
無事に1日目の散歩が終わり、ホテルに入りました。窓からは左手に鳥海山、右手に月山が見えます。美しい鶴岡の街を眺めながらテレビをつけると、「庄内平野冠水」と聞こえました。
そして飯豊(いいで)町に濁流が押し寄せた映像と「水道管流失 去年8月」と続きました。
そうでした。
あの東北から北陸にかけての「経験したことのない大雨」で、米坂線で橋が落ちたのは小白川と白川が合流するところで、その飯豊町でした。
あの時には庄内平野も冠水したのですね。
飯豊町の「いいで町 議会だより 187号」がネット上で公開されていて、「一日で私たちの日常を奪った集中豪雨」という表紙に、「S42 羽越水害を超えたか 8.3豪雨」とその被害状況と写真が掲載されていました。
1967年(昭和42)の羽越水害当時はまだ小学校に上がるかぐらいだったので全く記憶にないのですが、水害の歴史をたどるようになってからその名をあちこちでみるようになりました。
国土交通省山形河川国道事務所に「羽越水害アーカイブ〜忘れない、水害への備え〜」があり、当時の「山形県史上空前の大水害」の記録がありました。
Wikipediaの羽越豪雨によると、「この災害を契機に荒川、胎内川、最上川などの治水計画が見直されるきっかけとなった」とあります。
その被害を超える被害だったようです。
19時ごろからは「台風6号北上中」と文字スーパーが表示され始めました。
迷走台風が自転車の速度で鹿児島沖に達し、新宮でも大雨、都内も突然の大雨だそうです。
対して山形の明日の天気も快晴で、予想最高気温は38度です。
南魚沼では雨が降らず川の水が10分の1に減り、あと2~3日雨が降らなければ稲が枯れる可能性が伝えられていました。
停滞する台風で被害が大きくなりませんように、そして旱魃が起きませんようにと祈るしかありませんね。
災害を忘れずに、よりよい治水と利水に生かしていく。
ついつい日頃はその恩恵を忘れてしまいやすいものだとニュースを見ました。
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