東北の川と海をひたすら見る旅の2日目は酒田から羽越本線特急のいなほに乗りました。鳥海山に背中を見守られるように、広い庄内平野の内陸部へと列車が入って行きます。
小学生の頃に学んだ米どころ、「庄内平野」が目の前に広がっています。倉敷の祖父の水田の風景も広い水田地帯だと思っていましたが、規模が違いました。
行けども行けども水田地帯で、くまなく大小さまざまな用水路がはりめぐらされていました。
しばらくすると、羽越大山あたりからその名のとおり右手が山になり、その向こう側は日本海が近づき始めました。トンネルが増え、日本海に近づいてはいるけれどなかなか日本海は見えない。
そこに、沿岸に線路を作るには難しい地形の理由があるのでしょうか。
小波渡(こばと)駅あたりからようやく日本海が見え始めました。
トンネルをくぐるたびに小さな川のそばに集落があるのは、あの房総や南紀を回ったときと同じで、似ているけれど少しずつ違う街の様子を漏らさずに記憶したいと、ひたすら車窓の風景を眺めていました。
日本海は荒れているイメージが強かったのですが、目の前に広がる海は遠浅で、むしろ東南アジアのあの難民キャンプの前に広がるエメラルドグリーンの海に似ていたのは意外でした。
トンネルを越えるといよいよ2日目の最初の目的地、村上です。
トンネルを出てじきに三面川を渡ります。
今回の旅で目的を3つに絞れと言われれば、八郎潟に続いてこの三面川もそのひとつでした。
*三面川と奥三面ダム*
1990年代半ば、村井吉敬さんたちとダムを見に行っていた頃に、この村上にも来たことがあります。
奥三面ダムの基礎工事が始まっていた時期でした。
あの時は車で行ったので、米沢から小国峠をとおり新潟へ入りました。ちょうど低気圧が通過した後だったこともあり、小国峠から新潟へと流れる川が怒涛の流れだったことが記憶にあります。当時はその川の名前を知らなかったのですが、これが荒川で、羽越豪雨では「特に被害が甚大だったのは荒川流域である」と書かれています。
すでにあった三面ダム周辺を見て三面川沿いに走り、村上市内で食事をしたのは覚えているのですが、肝心の三面川の記憶が残っていなかったのでした。
*美しかった!*
駅から歩いて10分ほどのところにある中央図書館のあたりから、三面川の河岸段丘で下り坂になっていくのがわかりました。
列車の車窓から見えた川は、周囲の山の緑が水面に映えて美しい川でしたが、二十数年ぶりの三面川にどきどきしながら歩きました。
駅から20分ほどのところに村上市鮭公園と中州公園があり、公園の入り口にイヨボヤ会館があります。観光の目玉の物産店のようなものなのかと思ったら、鮭や淡水魚についての生活史やこの地域の文化史など、惹き込まれる展示ばかりでした。
予定外に1時間ほどその中で展示を見ていました。もっとじっくり見たかったのですが、列車の時刻もあるので先を急ぎました。
イヨボヤ会館の前に三面川の分流があり、これが鮭の養殖のために造られた種川だそうで、さらに中州公園を歩いてようやく三面川が見えました。
対岸の森はほとんど建物もなく、静かに三面川が流れています。
太平洋側の川とは違い、河岸いっぱいに滔滔と水が流れているのが、やはり日本海側の川なのでしょうか。
ああ、ここまで来て本当に良かった。
川の美しさはそれぞれあるけれど、この風景を毎日見て暮らしたいと思わせる川でした。
でも、もうひとつ確認したいことが残っています。
この川の上流に暮らしていた方々は、移転後、どのように暮らしていらっしゃるのだろうということです。
イヨボヤ会館の方に尋ねたら、「縄文の里・朝日奥三面歴史交流館」があって、奥三面出身の方々の話を聞くことができるとのことでした。
市内から12km離れているようなので、また次回の課題ということに。
「散歩をする」まとめはこちら。