長岡を歩こうと思ったふたつ目の理由は、行く前に地図を眺めていた時に、信濃川河川敷近くに「水道」という町名が目に入ったことです。
信濃川の水を利用してきた歴史的な何かがあるのではないかと、ピンと来たのでした。
どうやらそこには水道公園があります。
駅から歩いて20〜30分ぐらいでしょうか。帰りの新幹線まで時間に余裕があったので、是非訪ねてみようと思いました。
と、思いついたのですが事前にあまり調べる時間もなく、当日は分水あたりを歩いただけですでに1万2000歩近くになっていて、長岡駅についた時には空腹と足の疲れで水道公園を訪れるのはやめようという気持ちになっていました。
何か食べられる場所をと探しているうちに、「ここまで歩いたら、公園まで行ってみよう」「信濃川を見よう」と気持ちを奮い立たせて堤防の近くまで歩きました。
堤防と並行する道まで来ると、民家の屋根と屋根の合間に堤防が見えて、その堤防を散歩している人の姿が結構ありました。
屋根の上を人が歩いているように見えるちょっと不思議な光景ですが、ここまで高い堤防が必要な信濃川のすぐ近くにまで人が安心して家を造れるようになったということでしょうか。
しばらく歩いていくと給水塔が見え、広々とした公園の中に石造りの給水施設がありました。
水道公園は、旧中島浄水地を利用して、水道配水場やポンプ場などの歴史ある建物を保存しながら、歴史と文化を伝えるやすらぎの場として整備しました。
ここにある水道配水塔は、長岡市の上水道の敷設に伴い大正13年に着工し、昭和2年に完成したもので、平成5年まで利用されていました。水道配水塔は「水道タンク」の愛称で長岡のシンボル的存在として親しまれており、平成10年9月には、有形文化財に登録されています。
帰宅して検索していたら、土木学会関東支部新潟会の「にいがた土木構造めぐり」の「旧中島浄水場(長岡市)」を見つけました。
◎配水場(水道タンク)
創設当時の長岡市には高い山が無かったために、水道タンクの高い位置に水槽を設置し、高低差による圧力で給水していました。
あの「ポンプの力で駒沢給水場に設立した給水塔に押し上げた後、自然重力で渋谷へ送水するという斬新な仕様」の駒沢給水塔と同じだと思ったら、設計者は両方とも中島鋭治工学博士とありました。
長岡市内の信濃川沿いを路線バスで通った印象として、「高い山が無い」ということが実感として理解できました。
もちろん周囲は山があるのですが、信濃川によってできた沖積平野には高低差のある河岸段丘自体があまり無い印象でした。
どちらかというと、あの印旛沼や倉敷周辺の風景に似ていて、平地から突然山になる感じです。
専門的なことはわからないのですが、山と山の間を信濃川の水が自由自在に溢れて作り出した平野というイメージでした。
むしろ駒沢周辺の方が高低差がありそうです。
ということで、地図から見つけた「水道」という地名から大正時代からの水道施設を見ることができました。
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