散歩をする 259 和倉温泉から金沢へ

今回の遠出は3つの計画のどれにするか最後の最後まで決まっていなかったので、どの計画にも都合が良さそうな場所を宿泊先に決めました。

和倉温泉です。

 

1日目にのと鉄道の中で、海岸線をバスで行く計画に決めた時点で、今回は残念ながら和倉温泉の街を歩く時間はなくなりました。

能登町から戻った時はすでに日が沈み、暗くなった中、ホテルに向かいました。駅からまっすぐの道を歩くと、大きな工場があります。その煙突から夜中ももくもくと水蒸気のような煙があがっているのが、ホテルの窓から見えました。

 

翌朝、7時1分発の特急のとかがり火2号に乗るために、日の出の頃にホテルを出ました。

昨夜は暗くてわからなかったのですが、新建材で建てられた家も真っ黒の屋根に統一されているかのようで、北陸の落ち着いた街でした。

工場はイソライトの工場で、工場内にイソライト珪藻土記念館という資料館があるようでした。「珪藻土」、また知らない世界がひとつできました。中をみてみたかったと後ろ髪をひかれながら、駅へと向かいました。

 

ホームで列車を待っていると、反対側のホームに「七尾電化記念」の石碑がありました。

高度経済成長期に入ると能登半島方面に観光ブームが沸き起こり、その後七尾線の電化に伴い特急乗り入れが開始し、急速に宿泊客が増加した。 

 和倉温泉まで電化されたのが1989年(平成元)ですから、私が修学旅行で能登半島を訪れた1970年代後半は、このあたりはまだまだひなびた風景だったのでしょうか。

 

2007年(平成19)3月に発生した能登半島地震では大半の旅館が被災し、ほとんどの旅館が営業停止となったが、大部分の旅館は同年4月1日までに営業を再開した。 

そうでした。瓦屋根や灯籠が崩れ落ちた映像が記憶にあります。前日から回った場所は、能登半島地震で大きな被害を受けた地域でした。

 

朝陽が昇り始めて、邑知潟のあたりを通過する頃には、水田地帯の上に朝靄が低い位置にたなびいていて、幻想的な風景でした。

 

復路は反対側の風景が見える席で準備万端でしたが、河北潟との間に津幡バイパスが通っているのでこの辺りの風景は途切れ途切れにしか見えませんでした。

でも、邑知潟や能登半島の海岸線の風景を思い出すだけで、まだ夢から冷めていないかのような不思議な満足感です。

 

なんだかちょっとのぼせたような、そんな気分のまま金沢駅に到着しました。

 

いつか、数日ぐらいかけて能登半島をぐるりとバスでまわろう。

新たな計画ができました。

 

 

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