行間を読む 96 七尾線の歴史

金沢駅から七尾駅まで特急に乗りましたが、途中駅で反対の金沢行きの列車が濃いローズ色の昔懐かしい車両でした。

国鉄時代の、しかも半世紀以上前の私が子どもの頃に乗った記憶があるような車両です。古臭いよりは、なんだかとってもカッコよく見えます。

 

ところでこの七尾線金沢駅から七尾駅までがJRで、七尾駅から穴水駅までがのと鉄道です。

今回は能登半島の海岸線を見たくて、この穴水駅までまず行く計画でした。

七尾駅からは第三セクターのようですが、能登かがり火号は七尾駅の次の和倉温泉まで乗り入れています。であれば、乗車券を金沢駅から穴水駅まで事前に購入できそうなのですが、それはできず、一旦、七尾駅で改札を出て切符を購入しなおしました。

まだまだ鉄道の旅の初心者なので、説明されてもきっと理由がわかならい事情があるようです。

 

*輪島まで鉄道が通っていた*

 

計画の段階で、高校の修学旅行でいった輪島を再び訪れようと地図を見ていたら、「旧輪島駅」「駅前通り」を見つけました。

修学旅行はバスで金沢から輪島へ向かったような記憶があるので、鉄道や駅舎はまったく記憶にありません。

 

七尾線の歴史を読むと、1898年(明治31)に七尾鉄道が開通し、1935年(昭和10)には「穴水駅ー輪島駅間(20.4km)が延伸開業し全線開通」しているようですから、昔の能登半島は鉄道とともに発展して来たのでしょうか。

 

廃止になった経緯は以下のように書かれていました。

半世紀ほど後の1987年からは七尾線電化の議論が活発化する。JR西日本と地元自治体との交渉の結果、津幡駅和倉温泉駅間を電化し、和倉温泉駅以北の経営はすでに能登線の営業を引き受け開業していたのと鉄道に委ねることとなり、1989年に津幡駅和倉温泉駅間の電化と和倉温泉駅以北の運営方式の変更を運輸省に提出し、2年後の1991年に電化・転換がなされた。その後、のと鉄道に引き継がれた区間のうち、乗客減少のため2001年に穴水駅ー輪島間の第二種・第三種鉄道事業が廃止され、現在に至っている。

 

電化

「電化促進期成同盟」という立て看板とともに、今まで何回か車窓から見つけたことがあります。

同じ目標の実現に向かって、結束して活動する人々の組織の運動が実現したその20年後には、能登までの鉄道が廃止されていたようです。

私が修学旅行で訪れた四半世紀後でした。

 

能登駅を見ておけばよかったのに、なんで鉄道の記憶がないのだろう。ほんとうに残念です。

 

 

ところで、Wikipediaの「七尾線」の「置き換え計画」に、冒頭のローズ色の車両について書かれていました。

普通列車で運用される415系が1964年製造であり、老朽化が進んでいる。

2011年の東日本大震災における国鉄型電車の車両部品不足の際、521電車の乗り入れも検討されていたが、部品調達の目処が立ったため立ち消えとなり、新車投入は白紙となった。

なんだか、事実は小説より奇なりという感じですね。おかげで貴重な車両を見ることができたのですけれど。

 

そうそう、この車両は進行方向に向かって二人掛けの座席ではなく、ボックス席でした。

関西方面で今のような座席になったのはいつ頃なのでしょう。

鉄道の歴史も、知れば知るほど知らないことが増えていきますね。

 

 

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