専門性とは 8 崖っぷちに立つ

なんだか心穏やかでないタイトルですね。

「非常に苦しい状態に置かれること」(Weblio類語辞書)という意味ですが、誰がどうやってこの言葉を編み出したのだろうと、最近考えています。

 

というのも、数日で河岸段丘がなくなった場所を見るたびに、削り取られた部分に接してギリギリに建っているビルがまさにその状態なのです。

 

*崖っぷちに立たせる技術*

 

こちらの記事にも書いたのですが、1970年代から80年代はまだ、少し郊外に出ると東横線沿線などでも山や畑が広がっていました。あっという間にその山肌に家がぎっしりと立ち並ぶ風景に変わり、そこに住む方々には申し訳ないのですが、まだこの風景には正直なところ慣れないものがあります。

斜面や切り崩した場所ギリギリに土台をつくり家を建てる技術が急激に確立された時代だったのかもしれない、と受け止めるようにしています。

 

ただ、その場合は土台を整地してから家を建てるという順番ですが、冒頭の渋谷の風景はすでに建っている大きなビルのそばを切り取っていくのですから、完成した後の風景は似ていても全く異なるものです。

 

あのビルが少しでも傾いたり崩壊したらと、最悪のことを考えてしまいちょっと鳥肌が立つ風景です。

 

*新しい技術や知識が急激に取り入れられる時*

 

仕事の内容が人命に直結する分野でなければ、リスクマネージメントという言葉も「失敗は成功のもと」ぐらい前向きになれるかもしれません。

 

ところが、社会の中にはどうしても人の生命に直結するリクスを負う仕事があって、さらに技術が急激に進歩していくその時代には、失敗は崖っぷちに立つようなものだと自分のことのようにぞわぞわしながら、あの風景を見ています。

 

そしてあの現場で働いていらっしゃるひとりひとりは、過去の失敗も含めてどのようにその知識や技術を吸収しどのように対応されているのだろうと、すごいことだなあと見ています。

 

それなのに、建築のように専門性の高くない仕事とかその崖っぷちで働いている人への視線とか、それこそ「社会の失敗」であることに気づかないのはなぜなのだろう。

 

そんなことを考えながら、渋谷の河岸段丘の変化を見ています。

 

 

「専門性とは」まとめはこちら

失敗とかリスクとかについての記事のまとめはこちら