食べるということ 64 「 会食」とは日常的な言葉なのか

人生の中で、こんなに「会食」という言葉を聞いたことがないと思う昨今ですが、私の人生で「会食」と言われてもほとんど無関係に感じる言葉です。

 

最初にこの言葉が印象に残ったのは、およそ40年前の高校生の時でした。

生徒会役員になった時に、生徒会長になった人の一声で、週に一回「役員が昼食を一緒に食べながら話し合う」ことが決定されたのでした。

時間を節約する意味よりは、「一緒に食べることで役員間の親睦を深める」ことを目的にしたようでした。

私自身はお昼ご飯ぐらい気のあった友人とのんびり食べたいと思い、食べてから集まるか放課後にすればいいのに、とその時間がとても苦痛でした。

このところ連日その言葉を耳にすることになって、当時のモヤモヤした気持ちが蘇っています。

 

「会食」ってなんでしょうか。

もしかして、「会って食べる」を簡略化できる便利な用語ぐらいの感覚なのでしょうかね。

私には、「会って、会議もして食べる」というニュアンスにしか聞こえなくて、あの生徒会の記憶以降はあまり日常的な用語ではないのですが、世の中はそれが当たり前の人が多いのでしょうか。

 

今回の感染症対策の中では、喋る時にはつばが飛ぶのを防ぐという意味で、「会話をして食べる」を略して「会食」なのだろうと素直に理解していたのですが、「何人まで」とか「国会議員は4人まで」とかあらぬ対策が出てくるので、「会食」の指している意味が全く違う感覚の人がいるのだとわかりました。

 

ただし、たとえ一人で食べに行っても、食べている時にマスクをしていない私が店員さんに話しかければ感染させるリスクもあるわけですから、「何人で食べに行ったか」「誰と会って食べたか」「会議をしながら食べたか」とか関係ないと思いますけれどね。

 

 

「会食」ってなんだろう。

 

 

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