簡単なことを難しくしているのではないか 11 喋るときにはつばが飛ぶのを防ぐ

緊急事態宣言が解除されたあと、また徐々に飲食店で食事をしている人たちが増えました。

今回、近畿から東海をまわったときも、店頭のアルコール消毒や間隔を開けたテーブルや椅子の配置など、どの地域でも徹底されてきているのだと感じました。

 

ところが、やはり連れの人がいる人たちは、食べながら話をしています。

ああ、そこがポイントなのに惜しいなあ。

そういうお店や時間帯は避けて、一人で黙々と食べている人が中心の場所を選ぶようにしているのに、必ず遭遇してしまいます。

 

*「夜の街」から「会食」へ*

 

ただ、都内で一日に300人台から400人台の感染者数が報告されたあとから、ちょっと風景が変化したように感じました。

食べ終わったお皿の前で、マスクをして会話をしている人たちの姿が増えた印象です。それまでは店内ではずしていたマスクを、話をするときには必ずつけるようになった。

ようやく、こういう基本的な行動が定着したのかもしれません。

 

今回の感染症拡大では、医療関係者でも症状がないのにマスクをつけるのかと今までの標準的な考え方に変更を迫られる事態でしたから、マスクとは何のためなのか正確に情報が浸透するには時間も必要だったとは思います。

 

ただその前に、中国での感染拡大の理由に大人数での会食や大皿からの取り分けが挙げられていたり、日本でも狭い空間での会食で感染が広がったケースから、まだまだCOVID19の全体像もわからない時期でも友人たちと会って飲んだり食べたりするのは危なさそうという印象がありました。

そして4月初旬に、院内感染の死角が、休憩室だったことを知り、それ以降は他の人と狭い空間で食事したり、マスクを外して会話をするのは避けた方が良いと理解しました。

 

おそらく、当時は確かに夜の繁華街での発生が多いことがわかってきたので、注意喚起のために「夜の街」という表現になったのだと思いますが、そのあたりでちょっと人ごとに感じる人も出てきてしまったのかもしれませんね。

 

 

 

「食べるときには喋らない」

「喋るときにはマスクをする」

「屋内や人が近くにいるところでは会話を減らす」

これが身につけば、もう少しこの感染症と付き合いながら経済活動を両立させられるのではないかと思うのですが。

 

でも、ほんと、一人でいることや喋らないことが耐えられない人が多そうですね。

相変わらず、プールや更衣室でもマスクをはずして会話する人がいるので、この行動を変えるのはなかなか難しそうです。

 

 

そして、「人がそばにいなければマスクを外してもよい」「マスクをしていなければ人と距離を置く」も簡単そうですが、案外と理解されないのかもしれませんね。

プールの更衣室でも空いているロッカーがいくらでもあるのに、なぜか隣にきて使い始める人がいるのです。しかもマスクを外して。

 

 

刻々と状況が変化していく中では、簡単なことは見逃されたり伝わりにくく、気づいたときには複雑になってしまう。

そんな今までにも何度となく見てきた光景ですね。

何が理由なのでしょうか。

 

 

 

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