数字のあれこれ 69 「石の上にも三年」

「自由な働き方」と非正規雇用で「『石の上にも三年』は死語なのか」と書きました。

 

この諺はどこからきたのだろうと検索していたら、「『石の上にも三年』は大うそ、身を滅ぼす人月商売から今すぐ足を洗いなさい」(日経XTECH、2019年11月18日)という記事を見つけました。

 

日本人だけなのかもしれないが、人は「3年」という期間に特別な意味を見出してしまうようだ。例えば企業の中期経営計画。大概は3年に設定されている。ビジネス上の取り組みを始めて3年もたてば、何らかの成果や結果が見える。多くのビジネるパーソンはそんな風に認識しているのかもしれない。

 

仕事を辞めようとする若者を職場のオヤジたちが諭す際にも「3年」が登場する。今回の極限暴論のタイトルにも使った「石の上にも三年」は有名なことわざで、最初は大変でも3年間ぐらい辛抱して続ければ成果が出るといった意味だ。今の時代、このことわざを直接引用するオヤジはさすがに少ないと思うが、ことわざを念頭に置いて「3年は辛抱しろ」と若者に説教するオヤジはごろごろいる。

 

かく言う私も、以前はそんなオヤジの1人だった。若い頃に転職を経験しているが、かなりブラックな企業に入社した時も「3年は頑張ろう」と何となく思っていた。そして日経BPに転職した後、記者としてやっていけるなと自信を持つにいたるまでは3年ぐらいかかった。だから「石の上にも三年」。記者や他の職種でもくじけそうな若者には「3年は頑張ってみろよ」などと上から目線で説教していた。

 

人月商売のIT業界でもそんなオヤジがごろごろいる。というか、大手Slerでは「うちで3年ほどやって見てから転職を考えればいいじゃないか」などど、片っ端から辞めようとする優秀な若手技術者の引き留めに必死になっている。

 

下請けITベンダーでも事情は同じで、多重下請けのコーディング作業のアホらしさから転職しようとする技術者を「3年は辛抱してみろ」と引き留めようとする。ただし下請けITベンダーの場合、経営者や幹部のオヤジがブラック企業感を出して転職希望者の技術者を脅かす。「うちで我慢できないようでは、どこに行っても通用しないぞ」といった具合だ。 

 

はっきり言って「石の上にも三年」はとんでもない間違いである。若者はまともに取り合ってはいけない。私もそんな説教をしてしまった「かつての」若者たちに申し訳なく思っている。特に人月商売のITベンダーでは、そんな話を真に受けて3年も在籍してしまうと、若手技術者にとって致命的な事態となる恐れがある。

 

さて、どうなるのかフライング気味に結論を先に示しておこう。ことわざに引っかけて次のように言えばよいだろう。石(人月商売)の上に3年もいると「優秀」だった若者が「石化」してしまい、元の石(人月商売)と区別がつかなくなる。たいした技術スキルもノウハウも持たない、人月商売に染まった技術者となり、次に入社してくる若者に「せめて3年は辛抱しろよな」などと説教するオヤジの一員になるというわけだ。

 

ここから先は有料記事なので読んでいないのですが、「人月商売」とは読み方さえ知らない初めて耳にする言葉でした。

検索したら「にんげつ」と読むようで、「1人でひと月にこなせる作業量を「1人月」という単位で数え、これを事業計画の遂行能力の基本的な手がかりとして用いる、という考え方が一般的になっている業界の通宵。ソフトウェア開発の分野をさすことが多い」(Weblio辞書)だそうです。

 

そして「人月商売はもうやめた方がよい」「たそがれる人月商売、優秀な技術者が片っ端から辞めていく」「2020年代、IT業界の人月商売が続く最悪シナリオの現実味」と言ったタイトルが並んでいました。

 

もしかして、「石の上にも三年」が大うそだとか間違っているというのではなく、「人月商売」が間違っていると言いたい記事だったのでしょうか。

まあ、「極言暴論」というタイトルですし、「フライング気味に結論を先に示しておこう」と書かれているので真意はわからないのですが。

 

*「石の上にも三年」は観察に基づいているのではないか*

 

40代ごろの私も、辞めたいという若手のスタッフに「石の上にも三年だから」と引き留めるオバサンでした。

 

実は30代ごろまでは私自身が3年から数年で職場を変えていましたから、どの口でそれを言うかと言われそうですね。

ただ、今の新型コロナ対応での看護師不足を見てもまだまだ看護資格があるのだから、どこでも働けるでしょと見なされ、本人の意向に関係なく病棟移動させられる風潮が続いているのですが、むしろ自分の中の専門性を見つけたいために勤務先を変わる必要がありました。

 

で、3年ぐらいたつと新しい職場にも慣れてなんだか自信がついてきます。

つい、またどこでもなんでもできそうという気持ちになりやすそうで危険だなと感じるようになりました。

そのうちに、3年では足りず、数年ぐらい同じところにいると新しく入職してきた人に仕事を教えることが増え、そこでまた大きく何かが自分の中で変化するような気がしました。

 

「石の上にも3年」は、人が仕事を覚えていくための、長い観察に基づく本質があるように思えてきた頃に、Dreyfusモデルを知り、これだと思いました。

 

「石の上にも3年」を大ウソと思うか、それとも人間の観察に基づいた本質と感じるか、そんな違いがありそうです。

冷たい石の上でも3年も座り続けていれば暖まってくる。がまん強く辛抱すれば必ず成功するとのたとえ。(goo辞書)

 

 何を「成功」とするか、目指すところも違うので、正解はそれぞれですけれどね。

 

 

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