水の神様を訪ねる 52 盛岡城と湧水

朝の2時間ほどの盛岡市内の散策は、北上川公園を訪ねて、北上川と中津川そして雫石川が合流するところを見ること以外は何も計画していませんでしたが、時間があれば盛岡城跡を訪ねてみようと思っていました。

 

水のことが気になりだしてからは、水田の水源なぜそこに城を建て、その堀の水はどこから来たのかなども気になり始めました。

 

盛岡周辺の地図を眺めていると、なぜ盛岡城はあえて川合のそばにあるのか、そして主流の北上川のそばではなく中津川のそばなのかと気になりました。

 

まあ、ちょっと歩くだけですから答えには行き着かないだろうとは思いましたが、あと1時間ほどあるので盛岡城跡を訪ねることにしました。

 

*「賢治清水」*

 

中津川治水の石碑の前で横断歩道を渡ると、目の前に小さな広場があるのでふと立ち寄りました。「宮沢賢治が使用した共同井戸」という表示があります。

雨の中、「宮沢賢治ゆかりの地」の説明を読んでいると、もう一人若い女性が近づいてきました。

根強い賢治ファンがいるのだと思っていたら、そばの水音がする方へ行って水を汲んでいました。

 

「賢治清水のいわれ」という説明板のそばに、水が湧き出ていました。

この賢治清水は、宮沢賢治の大正六年より盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)在学中に、弟清六と二人で大沢川原一丁目の玉井家に下宿していた当時宮沢賢治が使用していた共同井戸が前方下駐車場に現存されています。

この井戸の水脈を十メートル程ボーリング致し、大変良い清水に恵まれ左記のような水質検査と相成り「ちゃんがちゃうまこ」の詩碑建立とあわせて是れを記念して「賢治清水」と命名致しました。

 

街の真ん中で湧水を見ることができるとは思っていませんでした。

 

盛岡城跡を歩く*

 

その湧水の反対側から盛岡城跡になるのですが、森でよく見えなかったので平地に立てられているのかと思ったところ、敷地内に入ると目の前に高い石積みの城壁がそびえるように続いていました。

雨の中、紅葉の始まった美しい城址を歩く人は私ひとりでした。

北側では雨の中、城壁の修復工事が行われていました。

 

下り坂を降りて、お城の北側にある櫻山神社に立ち寄りました。

北上川の水の神様かと想像したのですが、「江戸時代中期の寛延二年(一七四九) 盛岡八代藩主南部利視公が初代信直公のご遺徳を偲び奉るため」建立された神社のようでした。

堀を渡り参道への入り口に小さな灯篭のようなものがあり、そこに「水神」と掘られた石碑がありました。

 

西へとさらに150mほど堀が続き、途中に盛岡城跡の説明がありました。

 盛岡城は、三戸から不来方(こずかた)に居城の移転を決定した南部信道(盛岡藩初代藩主)が、慶長2年(1597)に嫡子利直(2代藩主)を総奉行として築城を始めたと伝えられ、翌慶長3年(1598)の正式許可の後、築城工事が本格的に進められました。

 城の縄張りは豊富家重臣浅野長政の助言によるものといわれ、北上川と中津川の合流地点に突き出した丘陵に本丸・二の丸・腰曲輪(こしくるわ)などを配し、それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪(御場内)としています。

 さらに、内曲輪の北側は起伏の激しかった現在の内丸地域を平坦にして、堀で囲み、南部氏一族や藩の家臣たちの屋敷を配置して外曲輪としました。また、外曲輪の中津川対岸の城下を堀で囲み、武士や町人たちの屋敷街である遠曲輪(とおくるわ、総構え)が配置されています。

 築城工事は、北上川や中津川の洪水に見舞われながらも続けられ、築城開始から36年後の寛永10年(1633)に南部重直(3代藩主)が入城して以来、藩政時代を通じて盛岡南部氏の居城となりました。

 盛岡城は、廃藩置県の後明治5年(1872)に陸軍省所轄隣、明治7年(1874)には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され、城内は荒廃しましたが、明治39年(1906)に近代公園の先駆者である長岡安平の設計により岩手公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。

 平成18年(2006)には開園100周年を記念し、「盛岡城跡(もりおかじょうあと)公園」と愛称をつけました。

 

平地ではなく、北上川と中津川の合流地点の丘陵地だったようです。

そばにあった「盛岡城城下町全体図」を見ると、「北上川古川」として盛岡駅のあたりから盛岡城方面へと蛇行して流れていたようです。

 

それにしても公園という考え方ができなければ、どれだけのことを失っていたことでしょう。

 

 

*御田屋清水*

 

盛岡城跡の北側は、県庁がある方へ向かって上り坂になり、河岸段丘だったことがわかりました。

堀が終わったあたりの交差点で、その段丘を眺めていたら、横断歩道の反対側にまた小さな公園のようなものがあるのに気づいたので渡って見ました。

 

「御田屋清水」と書かれていて、紅葉した庭木の中、数段階段を降りた先に湧水がありました。

 

しばらく水が湧き出る音に聴き入りました。

 

川のそばを歩いただけでこんなに歴史と湧水に出会えるなんて、盛岡市はどこもかしこも水の神様がいるような街でした。

 

 

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