水のあれこれ 153 高岡城と堀

旧神通川である松川の遊歩道を歩いて富山城の近くまで戻ると夕方4時ごろになっていました。

ここからさらに富岩運河まで歩く計画は時間的に無理そうなので、路面電車富山駅に戻り、宿泊予定の高岡市に向かいました。

 

高岡駅のほど近いところに、高岡城址公園があります。

地図には大きな堀が描かれていて、その場所は庄川小矢部川に挟まれた中洲のような場所に見えます。

この堀の水をどこから通しているのだろう。

それが気になり、この目で確かめたくなったのでここで宿泊することに決めました。

あの九頭竜川から芝原上水で堀に水を引いた福井城をイメージしていました。

 

富山駅から水田地帯と真っ黒な瓦の家々が見えます。

この風景を見ることができただけでも満足しているうちに、高岡駅に到着しました。

古い駅舎を想像していたら真新しいビルで、翌日乗る予定にしていた万葉線昔なつかしい路面電車で、新しいものと古いものがうまく混ざり合った街でした。

 

河岸段丘に沿った街*

 

地図では平面に見えるのですが、高岡関野神社の近くに小さな水路が描かれています。

なんとなく気になって、まずはその神社に向かいました。神社の西側の道は下り坂になり、崖のような場所に建っている神社でした。

急な階段をのぼると、末広町の方へと商店街やアーケードがあって、城下町の雰囲気の残る道をまっすぐお城へ向かいました。

 

高岡大仏のあたりで北側は堀へ向かって下り坂になり、西側へは万葉線の「坂下町駅」に向かって下り坂になっています。

小矢部川河岸段丘に沿っているのだとわかりました。

そしてさらに堀に向かって下り坂になり、この辺りは谷津ではないかと思う地形でした。

 

まずは歩いてみてからWikipediaを読もうと思い、あとで高岡城の構造を読んでみました。

水濠は本丸西側のみが一重で他面は二重であるが、これは現在は市街地化しているものの、かつては本丸の北から北西にかけてが沼沢地であり、それを背面の護りとして本丸を他の郭でコの字型に囲む形の縄張りであったためである。基本的なプランは利長の先の居城であった富山城との類似性が見られ、その発展型とみることができる。

 

たしかに現在の感覚では、富山城はこんな不用心な場所になぜ造られているのだろうと思うような平地ですが、もともとは旧神通川のそばでした。

 

高岡城もかつては人をよせつけなかった「沼沢地」に面していたとは、今の街並みからは想像がつきません。

 翌日は、そこを万葉線で通ってみる計画です。

 

夜、ホテルでテレビを見ていたら、寒冷地仕様のエアコンの宣伝をしていました。

この時はまだ30度を超える暑さでしたが、じきに気温が下がり、雪や零下にも強いエアコンが必要な気候なのですね。

豊かな雪解け水が生み出した米どころのイメージは、歴史のつい最近のことなのかもしれませんね。

厳しい気候と、川が氾濫し人をよせつけない土地を、江戸時代ごろから少しずつ変えてきたことを知ることになりました。

 

 

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