落ち着いた街 19 本竜野から龍野へ

ヒガシマル醤油工場の間を歩いたのは、あらかじめ地図でそこに水色の線があったことも理由でしたが、もう一つ、揖保川右岸側へ渡る橋を探していたら、本竜野駅から北側へ数百メートルほど歩くと小さな橋が描かれていたこともありました。

駅前の案内図を見ると「旭橋(歩道橋)」で、車が通らない人専用の橋のようです。

そしてその橋を渡ったところが「龍野町神町」だったことから決めたのですが、期せずして左岸側の岩見用水の歴史を知ることができました。

 

揖保川の堤防が見え、その上流側に旭橋が見えました。幅数メートルぐらいでしょうか、その橋に行くには階段だけのようなので、自転車も通らないようです。

静かに揖保川の流れを見ることができました。

ただ、静かに流れているようでも水量が多い水面に足がすくみそうになり、橋の真ん中を恐る恐る歩くことになりました。

 

橋を降りると、「旭町」と書かれていて「龍野公園」「歴史的街並み」への案内図がありました。

生きた城下町博物館都市 龍野

 

龍野のまちは、鶏籠山(けいろうざん)などの山々と揖保川に囲まれ、中世の赤松氏の築城に始まった城下町としてのたたずまいを今も色濃く残しています。また、中世末から近世初頭の城下町の地割に沿って町家や武家屋敷、社寺、醤油蔵などの歴史的建造物が多く見られます。

 

一歩、街の中に入ると、左岸側とは雰囲気が異なって、一気に古い街並みが続いています。

古いといっても、まるで1960年代から70年代ごろの祖父母の家の周囲の雰囲気です。

半世紀前というのは、すでに保存される対象になっているということですね。

 

空腹の中、上り坂を息を切らせながら目指したのはたつの市歴史文化資料館で、何か揖保川とあの用水路のことがわかるかと訪ねましたが閉館中でした。まあ、岩見用水を知ることができたのでよしとしましょう。

その入り口に隣接しているお城のような建物はなんだろうといってみると、なんと簡易裁判所でした。

「龍野小学校水練場」という札がかかった、古い門と白い塀に囲まれた場所もありました。昔のプールかと興味が湧いて近づいたら、小学校の屋外プールでした。

 

ほんと、生きた城下町ですね。

 

 

*水路があちこちに残る*

 

石畳の道を上ったり下ったりしながら探していたのは揖保乃糸を食べられる場所でしたが、お昼時をすぎて営業中のおしゃれなカフェからはどこからもにぎやかな話し声が聞こえてくるので、なかなか入れずに街中を歩きました。

 

空腹となれない石畳を歩くのに少し疲れてきた頃、山側から小さな水路から水音が聞こえてきました。

山からの湧き水と思われる綺麗な流れで、おそらく雨の際の増水に耐えられるように現在ではコンクリート張になっているのですが石積みの護岸は残され、家の前で渡しの板が残されています。

 

しばらく歩くと、「城下町龍野の旧地名図」とともに、かつての揖保川とこの旧市街の水路の地図がありました。

脇坂氏の龍野入封当時(寛文十二年(1672))には城下町としての体裁をととのえていました。その地割はほとんど変化することなく今に伝えられています。

当時の地図と突き合わせてみると、今歩いてきた水路はほとんど変わらない場所のようです。

 

 

竜野から龍野へと少し歩いただけで、水路の歴史がわかる。

揖保川の両岸とも、なんと落ち着いた街並みなのだろうと感じたのは、水路が大事にされていたからだと思いました。

 

 

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