倉敷に泊まったその夜に、またホテルの窓を叩きつけるような雨が降りました。
今まで梅雨時に岡山に来たことがなかったので、こんなに降るなんて初めての経験で、しばらく窓の外の雨を眺めていました。
翌朝はお天気になりましたが、また湿度が高そうです。
朝7時過ぎの列車に乗る予定でしたが、その前に歩いてみたいと思う場所があり、6時過ぎにホテルを出発しました。
2018年に久しぶりに倉敷を訪れた時に、美観地区で夕食をとった時には人通りが少なく、なんだか半世紀以上前の祖父母の家の周辺を歩いているような懐かしさを感じました。
そうだ、早朝の倉敷美観地区を歩いてみようと思いついたのでした。
倉敷駅の南側に、阿智神社のある駒形山へ向かって昔からの長いアーケード街があります。
駒形山の手前で美観地区の道へと分かれる場所があり、北側へ進むと祖父母の家があった方向で、南側が美観地区への道でした。
半世紀ほど前は、駅から数分も歩くとじきに水田地帯が広がっていた記憶があります。田んぼにはさまれた、舗装されていない白っぽい土の道を十数分ほど歩くと祖父母の家がありました。
このアーケード街のあたりは、さまざまな記憶が呼び起こされて郷愁にかられる道です。
たまに駅方面に向かう人に会うぐらいで、早朝は静かでした。
美観地区に入ってもほとんど人とすれ違うこともなく、シンとした道を歩きました。
ふと良い香りを感じたのは、あの大川と同じ木の香りです。
家の「におい」の記憶は、3歳ごろに転居した当時、最新の鉄筋コンクリート製の真新しい団地の建物で、それ以外の木造の家屋の記憶はあまりありませんでした。
倉敷の祖父母の家には納屋や小さな離れがあり、なんとも良い香りがしていた記憶がこの木の香りだったのかもしれません。
道を歩いているだけで、古い美観地区の家々から香ってきました。
美観地区の中の小さな路地に入ってみました。
表側だけ保存しているのだろうと思っていたのですが、小さな路地を歩いても昔の造りで、人が生活をしている気配も感じられるものでした。
半世紀前に歩いているかのような錯覚に陥ったのでした。
90年ほどの時をかけた保存の歴史によって残されているのだと、圧倒されました。
そして「街並みの保存」というのは、生活も守られているとでもいうのでしょうか。
一世紀後の街並みという長い目でものごとをとらえることができたのは、どのような経験や考え方によるものなのでしょうか。
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