小高い場所の古天満宮から東觜崎(はしさき)の美しい街が見え、そこに揖保乃糸資料館も見えました。
計画では、そこでそうめんを食べる予定で、ホームページを見て何を食べるかも決めていました。
散歩2日目のクライマックスといってもいいほど計画の段階では力を入れていたのですが、古天満宮からは近くに見えるようで歩くと時間がかかりそうです。しかも、県道724号線は交通量が多くほとんど歩く人もなさそうで、白線だけの歩道を見て断念しました。
幻の揖保乃糸になってしまいました。
揖保乃糸を初めて知ったのが、高校生の頃だったかもしれません。
当時、寒冷地に住んでいたので暑さに弱く、気温が28℃ぐらいを越えると、牛乳かそうめんぐらいしか食べられなくなっていたのでした。
そのころに、揖保乃糸をお中元か何かでいただいたのだと思います。ふだん食べているそうめんも美味しいのですが、何か別格に感じました。
それ以降、夏になると何度か購入して食べていました。
ただ、そうめんはちょっと塩分量が高めなので減塩の商品があるといいのですけれど。
その揖保乃糸が揖保川とつながったのが、たしか2018年11月に久しぶりに倉敷を訪ねた時に、新幹線の車窓から見えた美しい川が印象に残った時でした。帰宅してから「あれが揖保川」だとわかり、もしかすると「揖保乃糸」は揖保川のあたりでつくられていたのかと閃いたのですが、今でこそあちこちの川を訪ねていますが3年ほど前はまだこんな程度しか川やその流域の歴史を知らなかったのでした。
時々、その揖保川を地図で上流から河口まで眺めていて、このそうめんの資料館を見つけました。
Wikipediaの揖保乃糸の歴史を読むと、「手延素麺」であること、「清流播磨五川のうち、揖保川、千種川、夢前川、市川流域のたつの市、揖保郡太子町、穴栗市、佐用郡作用町、姫路市で生産される」もののようです。
その「歴史」に、以下のようにありました。
ちょうど私が夏バテの高校生だった頃に、「揖保乃糸」という名前に一本化されたようです。
「播磨五川」、あの市川で初めて知った言葉でした。
「播磨五川とそうめん生産地を訪ねる」計画ができそうですね。
「食べるということ」まとめはこちら。