水の神様を訪ねる 56 裾野の水の神様

せせらぎ児童公園を抜けると、目の前に「裾野市上水道 石脇配水場」のタンクがあり、左手に三島神社があります。

 

黄瀬川をのぞみ、近くに配水場もあるので、なんとなく水の神様のような気がして訪ねてみることにしました。

 

「神社創建の由来」が大きな石碑に書かれていました。

 御祭神は素戔嗚尊祗園牛頭天王様にして 夏の疫病災難除けの神であり例祭は七月十五日なり 尾張の國津島の天王様より御分身を戴き 東国に安住の地を求め来り 隅々此の地に休息し起ち行かんとするも腰起たず神意此の地に祀るとの意と解し 美しき哉 黄瀬川の本支流水音の聞える此の地を選び祭祀する 約八百年前のことなり 当時石脇村は草分け七軒なりと伝えらる 延宝三年御書によれば 祠は高さ二尺三寸向き一尺四寸で神域は六百十六坪にして人皇第八十二代後鳥羽帝治侍大将源頼朝が建久四年五月富士の巻狩当時石脇村は既に存在せり

 静岡県神社庁調べによれば 創建は享保十七年二月今より二三六年となりおり 爾来天王様の例祭には地方士相集い 駿州きっての盛大なる奉納相撲が行われ 郷土国技の誇りなりき 明治中期事代主命を主体とし 相殿伊勢大神宮並びに山の神様の三社を合祀し 三島神社と改称せしものなり

 裾野町へ給水の恩恵を施す水源地および町営プールの一部は往昔神域内であり 水源地に創建されおる水神社は当神社の末社であり 誠に神威神徳の致すところなり

 ここに明治以来百年を記念し 区民挙って社殿を新築し 謹んで当神社の由来をしるす

 昭和四十三年十一月吉日  石脇区

 

 

尾張の國津島の天王様」どこかで聞いた記憶があると思ったら、多摩川の氾濫のあとの病難から守る神様でした。

 

夏の疫病災難の神様の分身を運ぶ時に、疲れすぎたのか腰が痛かったのか、それ以上東の方へ行くのをあきらめて此の地にとどまったというのも人間っぽい話で興味深いですね。

 

八百年以上前、7軒ほどの小さな集落の氏神様が、享保17年(1732年)に今のような大きな神社になった背景には、1670年に完成した深良用水があるのでしょうか。

用水完成後、半世紀ほどのこの地の変化はおそらく驚異的なものだったのかもしれませんね。

 

そしてその二百数十年後には、水道施設とプールの水源地を守る神様になられたようです。

 

 

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