Wikipediaの伊里駅の「駅構造」に、「ホームは嵩上げされていない」と書かれています。
伊里の街や水田地帯を歩く前であれば、ちょっとマニアックなこの一文には目が止まらなかったことでしょう。
伊里駅に降り立つと、東側の水田地帯は線路より一段下に広がっていますから、ここだけを見ると嵩上げされているように見えたかもしれません。
改札口と伊里川が流れている西側は、そういえば線路とほぼ同じでした。
歩き始めた時には早く「井田(せいでん)跡」を見たいという気持ちで駅周辺の地形は目に入らなかったのですが、川のそばを歩いて初めて伊里川が高い場所を流れていることに気づきました。
水田地帯をはさんで昔からの家は東の山沿いの岡山ブルーラインという道路沿いの少し高い場所に集中していて、駅の近くの家は比較的新しく建てたのでしょうか、コンクリートで嵩上げしている家もありました。
そして伊里川をはさんで西側の山に沿って、道路沿いに一列に並ぶ家も比較的古い時期のもののようで、伊里川から少し高い場所に建っているようでした。
伊里駅の前に広がる井田を江戸時代に干拓した頃は、この伊里駅とその北西にある友延あたりが人の住むギリギリの海岸線だったのでしょうか。
それ以前は、あの日生の由来に書かれていたように、この辺りもまた「海水が山際まで深く入り込んでおり、日生全体が大きな湾であったらしい。そして人家は山の裾か、少し上がった中腹、また島々の一部にあった」と同じような風景だったのかもしれませんね。
「ホームは嵩上げされていない」
この事実を見逃さずに記録したのは、どんな方でしょうか。
もう少しまた、この伊里の干拓地を歩いてみたい。見落としていることがたくさんありそうです。
今回は、伊里地区の議事録に「潮の干満に合わせて、夜中の3時だろうが4時だろうが樋門を開けています」と書かれていた樋門を訪ねる時間も取れませんでした。
そして計画の段階で考えていた井田神社を訪ねることを、なぜかすっかり忘れてしまったのは痛恨のミスでした。
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