熊本県の「やつしろ干拓の歴史〜わが田は緑なり〜」に、この地域での具体的な干拓の方法が書かれています。
■干拓工事の計画と堤防・樋門の築造について
干拓は洲と呼ばれる少し高くなっているところの集まりです。それらの洲の間には澪筋(みおすじ)(水の流れ)があります。
まず、陸地から干潟の方へ向かってどの範囲を干拓するか大まかに決めます。これを「新地際目立て(しんちきわめたて)」と言います。
次に、樋門に適したところ、などを調べて目印となる竹(際目竹)を打ち、干拓場所を決定します。
そして、際目竹を沖の方へ向かって30メートルくらいに区別し、これを第一丁場、第二丁場といって工事の単位にします。
各丁場には常時20人から30人が配置され、堤防で樋門が作られていきました。
一つの丁場は、約1年かかって築かれているので、これが「長丁場」の語源になったと言われています。
そして潮止め口を除く全ての工事が完了した後、大潮の日、潮が大きく弾いた短い時間に栗石や土俵で潮止め口をふさぎ、新たな陸地である干拓地ができあがります。その後、長い時間をかけて地中の塩分を除き、水田として利用されます。
■堤防の築造について
樫やどんぐりの枝を束ね、ヘドロの上に敷きつめ、それを松の丸太で作った格子状の枠で動かないように押さえます。枠の上に石を敷き、土を盛ります。
最後にこれを石垣で覆い、堤防を築いていきます。
干拓地に関心が出てから数年、この内容が少し理解できるようになりました。
干拓とは埋め立てとも違い、また陸上に平地を作るだけではなく、排水のための海の道も必要でそれが「澪筋」であることも知りました。
水田になるまでに塩に強い綿がまず栽培されたことや、稲作が始まってからも海岸沿いにつくられた干拓地は周防灘台風の高潮被害や伊里川のように度重なる水害を受けやすいことも知りました。
干拓地といっても海のそばか湖沼に造られたものかによっても違うし、各地のそれぞれの歴史や課題がありますが、「長丁場」は「一世代に一干拓、50年に一干拓」と同じ意味でしょうか。
現代の干拓は、潮受け堤防ができるまでや土を運び入れるのは昔に比べて格段に早いことでしょう。
ただ、あの「ギロチン」と呼ばれた映像から、まるで何世紀も前からあるような石造りの潮受け堤防になるまでの時間、そしてそれがその地域の産業や文化を生み出していくことを考えると、やはり干拓というのは長丁場かもしれませんね。
こうした資料を読むたびに、干拓の本質とはそこかもしれないと思えるようになってきました。
*おまけ*
いつの間にか各地の干拓についての資料館を訪ねていました。ここにまとめておきます。
「米のあれこれ」まとめはこちら。