期せずして江戸の三代水道のひとつ、赤穂上水を知ることができた散歩に満足して赤穂線に乗りました。
海岸周辺は平地が続き、日本海水の工場がありました。小さな川を渡り対岸にある天和駅は駅前が工場の敷地でした。この周辺が塩田だったのかもしれないと想像していると、備前福河駅を過ぎて県境をこえて岡山へと入りました。寒河駅は「さむかわ」と読むのかと思ったら、「そうご」でした。灰色の瓦の家に風景が少し変わりました。
日生(ひなせ)駅は目の前に海が広がっているのですが、湖のような静けさで、目の前に島がありました。ここから小豆島へのフェリーがあるようです。
いつか歩いてみたいと思う、瀬戸内海の沿岸部です。
列車は山側へと入り、トンネルを抜けると伊里駅の手前に干拓地らしい風景が広がりました。事前に地図で見て干拓地に違いないと確信していたのですが、倉敷の祖父母の街の雰囲気に似ていました。
*伊里地区と水害*
ここから川に沿って赤穂線は北側へと走ります。その伊里川が気になって検索していたら、「伊里地区」という備前市市議会の議事録でしょうか、公開されていました。
幼稚園の移転問題について、今の幼稚園の跡地を地上げしてそこに作るとお聞きしましたが、それに伴う水害の影響、地上げすることによる今度移転する小学校家の影響について、市はどういう検討をされているかお聞きしたい。
議事録はこの質問から始まり、各地域の高潮による水害の問題とその対応について話し合いが行われていました。
「やっと中学校が東高校の跡に移転し、来年の4月には小学校が伊里中学校の校舎を改造し移転する」と書かれているので、2005年(平成17年)の議事録のようです。
伊里中学校のホームページの「沿革」を読みました。
46年 3月 体育館落成
49年 7月 台風8号により床上1m浸水
51年 9月 台風17号により床上1.2m浸水
平成 2年 9月 台風19号により床上30cm浸水
15年 8月 台風10号により体育館床上25cm浸水
地図で見ると、伊里中学校あとに移転した小学校は伊里川と大谷川の川合にありました。
伊里中の運動場から小学校にかけては水害の場合水が入ってきます。49年の伊里川改修前の水位を基準に水には十分耐えられるだけの環境を作り、そこに伊里幼稚園をと考えています。
北からまっすぐに瀬戸内海に流れ込む伊里川は、氾濫しやすかったのでしょうか。
伊里川、大谷川の今までの水害に伴う膨大な土砂がまだ撤去されていない状態で、伊里幼稚園だけを地上げするということは、近隣に住んでいるものにとっては大変な不安となります。伊里川、大谷川の撤去作業が終わり、水の流れが変わることが見届けられたらと考えることもできますが、友延地区は松下電子ができて以来、水害に遭っているので、地区の方との話し合いを十分に持たれた上で、候補地を選定してほしい。
伊里川、大谷川はいずれも県の管理河川であり、浚渫については年次的に県にお願いしているところです。しかし県においては、他の浚渫の要望も多く、財政状況も厳しいということで、早急な対応は困難であるという回答をいただいております。
2000年代に入って、この地域でも天候の変化に対応が迫られていることが書かれていました。
伊里に生まれてからずっと住んでいますが、松下も埋め立てをし、東高校もかさ上げしてきたわけで、あれだけ埋め立てれば遊水池がなくなります。昨年も2回も冠水し、住民の生活環境そのものがおびやかされてています。
Eさんの件について、まず1番の大きな原因は温暖化現象です。今から30年前、50年前はそんなに高潮にならなかったのですが、今は、ごく普通の台風でもすぐ浸かるようになりました。50センチ以上は常時潮が高くなっています。高潮になると川の水が出ません。その結果、各地に土砂がたまり浚渫をしなくてはなりません。
市側もさまざまな案を考え、対応に苦慮している内容が続いていました。
伊里川はどんな川だろうと思いついて検索したら、その地域の水を制御してきた歴史の記録に出会いました。
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