出発直前のニュースがなければ、城野(じょうの)駅という場所も知らないままだったと思います。
地図を見ると今では、4月にこの駅で下車した時に印象に残った広々とした真新しい通路と横断歩道橋、そしてその向こうに安部山の緑が美しい風景が目に浮かびます。
散歩の記録をまとめるにあたってWikipediaの城野駅を読んだところ、こんなことが書かれていました。
当駅北側には戦後アメリカ軍にて接収された城野補給基地があり、朝鮮戦争の際この基地が拠点となった。当時駅よりこの基地へ引き込み線が敷設されていたが、その戦争により戦死した兵士の遺体がこの基地に集められ、この引き込み線を通じて神戸港・横浜港へ搬送されていた。朝鮮戦争後、この基地は陸上自衛隊小倉駐屯地の城野分屯地となり、2008年3月24日付で閉鎖された、現在、引き込み線の痕跡は一切残っていない。
(強調は引用者による)
神嶽川の水源地で美しい山の麓のあの静かな住宅地が、朝鮮戦争に深く関わりのある場所だったとは。
私が生まれる10年ほど前の時代、この辺りはどんな風景だったのでしょう。
朝鮮戦争はベトナム戦争と同様に、子どもの頃から耳にする機会の多い戦争でした。
改めて朝鮮戦争を読み、愕然としました。
終戦ではなく休戦状態であるため、名目上は2022年現在も戦時中であり、南北朝線の両国間、および北朝鮮とアメリカ合衆国との間に平和条約は締結されていない。2018年4月27日、板門店で第3回南北首脳会談が開かれ、2018年中の終戦を目指す板門店宣言が発表されたが、実現には至らなかった。
時々ニュースになる韓国と北朝鮮あるいはアメリカとの緊張状態も、終戦ではないからですね。こんな当たり前のことなのに、現在進行形の戦争については全体像を見失っていました。
朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)は、1948年に成立したばかりの朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で生じた、朝鮮半島の主権を巡る国際紛争。
ソ連崩壊を受けて公開された機密文書によると1950年6月25日にソ連のヨシフ・スターリン書記長の同意と支援を取り付けた金日成首相率いる北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略戦争を仕掛け(国際政治史を専門とする五百旗頭真も奇襲と呼ぶ)勃発した。分断国家朝線の両当事国、北朝鮮と韓国のみならず、東西冷戦の文脈の中で西側自由主義陣営諸国を中心とした国連軍と東側社会主義陣営諸国の支援を受ける中国人民志願軍が交戦勢力として参戦し、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場として荒廃させた。
この2月からの報道を追っていると、なんだか子どもの頃の戦争を見ているようで古臭い感覚に襲われることがあったのですが、朝鮮戦争の始まりとほぼ同じですね。
70年以上前に始まった戦争は終わっていなくて、同じような火種が世界中にあるという感じでしょうか。
時々、年表を見直すことが大事ですね。
それにしてもWikipediaの城野駅に、冒頭の記録を残した方はどんな方だったのでしょう。
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