昨年6月に佐賀県の干拓地を訪ねました。
岡山以西は山陽新幹線の初めて乗る区間だったので、風景を楽しみにしていました。その時のメモにこんなことを書き残しました。
防府の上流、山と川、水田、中国画
厚東、谷戸、赤瓦、美しい
小月、川
広島から山口の区間はトンネルが多いのですが、トンネルを出るたびに美しい田園風景が現れました。
そして帰りの新幹線では海側の風景で、「新下関駅を過ぎ、小月(おづき)のあたりで遠くに干潟らしい場所」が見えたことを書き残しました。
山口県は30年ほど前に秋吉台から萩・津和野を訪ねたことがありますが、瀬戸内海側の風景は昨年初めてでした。
帰宅してから地図を眺めると、山口県の瀬戸内海沿岸は干拓地らしい場所がたくさんあることがわかりました。
水島工業地帯のように、干拓地から工業地帯になったのだろうと思われる場所も見えてきました。
1960年代から70年代の工業化の時代に、埋立によって工業地帯が広がったと思っていたのですが、瀬戸内海沿岸ではそれ以前に干拓の歴史があり、田畑や塩田が工業地帯へと変化したのではないかとつながりました。小学校の社会科からやり直さなければなりませんね。
地図を見ていると、瀬戸内海の遠浅の海に浮かぶ小さな島々の間が干拓されたのだろうと思われる場所が想像できるようになってきました。
*開作とは*
昨年来、地図で山口県の沿岸部を眺めていて、「開作」や「新開」という地名が多いことに気づきました。新開は他の県でも見た記憶があるのですが、開作は初めてでした。
検索すると「山陽小野田市ふるさと文化遺産」という資料が公開されていて、その中の「高泊開作」に以下のように書かれていました。
「開作」という言葉を聞いたことがありますか。
開作とは、山口県特有の用語で、新たに水田や塩田を開発することを言います。
現在、市役所や市民病院、小野田駅が建っている所は昔、高泊湾という海でした。
この広大な海を埋め立てて陸となったところが「高泊開作」です。
コトバンクにはさまざまな干拓の呼び名として説明がありました。
東日本に湖沼干拓が多く、西日本に海面干拓が多い。湖沼干拓地は新田という地名であるが、海面干拓は旧藩領によって異なり、八代海の新地、有明海の牟田(むた)、搦(からみ)、籠(こもり)、瀬戸内海の開作、新開などがあり、大阪湾、伊勢湾では新田という。湖沼干拓は17世紀の治水技術の発達によって、干潟八万石、飯沼、見沼、紫雲寺潟などに2000~3000haの干拓地ができた。
(世界大百科事典内の開作の言及)
俄然、「開作」がつく場所に関心が出て、しばらく山口県の瀬戸内海沿岸部の地図を拡大したり縮小したりして何箇所も書き出してみました。
一度行ってみたいと思っていた周防大島にも、小松開作がありました。バスで行けそうです。
防府、新山口、小野田から厚狭、そして印象に残った小月、下関まで開作を訪ねてみよう。
せっかく下関に行くのだから、山陽本線の関門トンネルを通って門司のあたりまで足を伸ばしてみよう。
いくつか計画ができました。
昨年6月には、この辺りはようやく田植えが始まった水田が多かった印象です。
4月だとまだまだ田おこしもしていない可能性もありますが、雨や台風の時期に入る前に見てみたい。
そう思って、4月下旬に出かけてただひたすら開作を見てきました。
「散歩をする」まとめはこちら。