生活のあれこれ 12 周濠の水が水田を潤し、その先に平城宮跡が広がる

どこからともなく秋の香りが漂うのは葛の花でしょうか。静かな水上池は一枚の絵のような美しさでした。地図で見ると、水上池のすぐ北側には仁徳天皇皇后磐之媛命(いわのひめのみこと)陵の周濠が隣接しています。

 

池の西の端に細い水路があり、南側の少しさがったところにある水田へと繋がっているようです。古墳の周濠が池より少し高いところにあり、緩やかな勾配を利用して水が水田へと流れるようになっているのでしょうか。残念ながら今回は仁徳天皇皇后磐之媛命陵を訪ねる時間がありませんが、またいつかその地形を歩いてみたいものです。

水上池が終わり佐紀東町の住宅地に入ると、落ち着いた家並みがゆるやかに蛇行した道に沿って続いていました。地図ではこの住宅地の真ん中に平城天皇陵があるはずで、そんな遺跡のそばで暮らすのはどんな感じなのでしょう。

 

家が途切れたところにある畑の先を西へと曲がると急に開けた風景になり、本当に「あっ」と声が出ました。

 

広大な草むらの中に朱塗りの大きな第一次大極殿院(だいごくでんいん)が建っていて、まるで現代から千数百年前にタイムスリップしたのかと思いました。

 

1970年代、中学校の修学旅行で奈良を訪ねた時にこの風景の記憶はないのですが、それもそのはず近年になって復原されたようです。

平城京跡の北方に位置する「第一次大極殿院」。第一次大極殿院は、「大極殿」を含む南北約320m、東西約180mの区間で、古代の宮都における中心施設で天皇の即位や外国使節との謁見など国家の重要な儀式が行われた場所です。

大極殿」は2010年(平成22年)、「大極門」(※)は2022年(令和4年)に復原され、現在は「東楼」の復原工事が始まっています。その後、「西楼」「築地回廊」の復原整備を進める予定です。

※大極門:第一次大極殿院の南側の正門であり、儀式の際には天皇が出御することもありました。この門の名称に関する記事は文献資料に見ることはできません。日本や中国の宮殿等の事例研究から「大極門(だいごくもん)」と命名しました。

    (「国営平城宮跡歴史公園」サイトより)

 

 

道を隔てて北側はふつうに住宅地があります。

12年ほど前に復原された平城宮とは言え、周囲には水田が残りその水田への水は古墳や中世の溜池から来ています。

毎日この風景をみながら生活をするなんて、なんとうらやましいことでしょう。

 

平城宮跡歴史公園へ入る前に、もう少しその住宅地を西へと歩くと途中にも小さな水田が残り、稲の良い香りがしています。

 

しばらく歩くと、南北に二つの溜池がありました。

溜池の水は公園内を潤し、さらにその先の唐招提寺東側の水田地帯へと地図では繋がっています。その溜池を見てみたかったのでした。

 

二つの溜池の間は森があるのでひんやりとしています。溜池のそばに佐紀神社がありましたが小さな木のお社で、後由緒は「今ヲ距テルコト千三百年」から始まっていました。

しめ縄の紙垂(しで)が真新しく、境内も掃き清められていました。

 

南側の溜池に沿って平城宮の方向へと戻ると、この溜池は文化庁が管理していることが記されていました。

 

奈良に到着して1時間ほど歩いただけでしたが、いにしえより水に乏しい土地柄であった時代の風景を行ったり来たりしているような不思議な感覚になりました。

 

 

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