平城宮でのツルボを眺める夢は叶いませんでしたが、まだ2日目に希望があります。
王寺に宿泊したのは、2日目の朝早くから法隆寺の近くを歩くためでした。
2年前に大和川の川合を訪ねたときに法隆寺駅で下車しました。この時は残念ながら法隆寺を訪ねる時間がなかったのですが、記憶の中の法隆寺が砂埃の乾燥した場所だったのに対して、こんなに水田に囲まれた地域だったことでいつか歩いてみたいと思っていました。
地図では法隆寺の北側の山に溜池がいくつかあり、そこからの水路が南へと流れて大和川右岸の水田地帯を潤しているようです。
ここを歩いてみようという計画です。
朝方までの雨が一旦止みましたが、どこかで雷鳴が鳴って小雨がぱらついています。蒸し暑い中、朝7時すぎにチェックアウトし王寺駅前からバスに乗りました。通勤時間帯の車が連なる中、14分ほどで中宮寺前バス停に到着し下車しました。
雨が降ったりやんだり日がさしたり隠れたり、なんともせわしない天気です。
ところどころ水田がある住宅街の細い道は暗渠のようです。さらに北へと歩くと、両側に寺社の土壁がある地域に入りました。お寺の屋根には黒い魚の鴟尾(しび)がありました。
そこから数十メートルほど歩くと目の前が開けて水田地帯になり、その向こうに目指す溜池の土手が見えました。
法隆寺の北側にこんな場所があったとは。
土手のそばの坂を上ると溜池が目の前に広がり、その水面の向こうに法隆寺の五重塔が見えました。ちょうど一瞬出た太陽に黄金色の稲穂が輝き、幻想的な風景になりました。東の方の山なみも見えます。
前日の平城宮跡や唐招提寺や薬師寺も水田のそばに今もあるように、法隆寺のすぐそばでお米を作り続けているのですね。
溜池を見下ろすようにそばに小高い場所があり、斑鳩神社がありました。石段の途中では社殿が全く見えない急斜面でした。
稲穂を眺め畦道を歩きましたが、やはりツルボは咲いていませんでした。
この水田が途切れたあたりからはもう法隆寺の東側の塀になり、近所の家の間の細い道は生活道路のようで地元の車が通っていきます。
半世紀前のイメージとは随分違い、奈良の寺社は生活の場とともに残り続けているのだと感じました。
南大門を出るまで、何度も振り返りながら金堂と五重塔を眺めました。
*天満池と斑鳩*
パソコンのマップではこの法隆寺のすぐ北側にある溜池の名前がわからなかったのですが、溜池のそばにある案内図で「天満池」だとわかりました。
検索すると「斑鳩を巡る 自然散策うるおいの道」(斑鳩町観光協会)に説明がありました。
天満池
池の前にある「斑鳩神社」が、古くは「天満社」と呼ばれていたことから「天満池」と名づけられました。古くは、1100年ごろに築造されたと「法隆寺別当次第」に記載されています。江戸時代前期に、竜田藩主・片桐氏により大きく改修されたようです。
7世紀初めに創建されて以降の法隆寺の歴史だけでもさまざまな議論があるようでとても理解しきれないのですが、溜池が造られた12世紀ごろのこの辺りはどんな生活があったのでしょう。
ちなみにもう少し北東に大きな斑鳩溜池がありますが、こちらは1944年(昭和19年)に造られたようです。
天満池のほとりに立つと何世紀もあるいは十数世紀も昔から変わらないのかもしれないと思えるような眺めでしたが、斑鳩(いかるが)の地で稲穂が輝くようになったのはいつ頃からだったのでしょう。
「米のあれこれ」まとめはこちら。