2年ぶりの奈良駅に降り立ちました。奈良駅のこじんまりとした静かな感じが好きです。
観光地だけれど、生活の場所であることが大事にされている。そんな印象です。
12時28分、奈良駅西口からバスに乗りました。一旦、近鉄奈良駅の方向へ少し上り坂になり、そのあと奈良盆地のへりに沿って走り今度は川に沿って少し下り坂になり、その間ずっと奈良盆地を囲む四方の山並みが見え、真ん中のくぼんだ場所がわかる雄大な奈良の風景です。
法華寺を過ぎるあたりから景色の中に水田が増え始め、12時50分航空自衛隊前バス停で下車しました。
航空自衛隊奈良基地は、左右を小奈辺陵墓参考地と宇和奈辺陵墓に挟まれ、さらに西側は仁徳天皇皇后磐之媛命(いわのひめのみこと)陵が接している場所にあります。そのためか営門が白壁と瓦というおしゃれな外観で思わず写真を撮りたくなりましたが、不審者になってはいけないので歩き出しました。
営門のすぐ前にも水田がありました。
営門のすぐ西側には小奈辺陵墓参考地の堀が始まっています。
航空写真と地図で想像していた以上の大きさで水が悠々とありますが、深さはそれほどではなさそうです。
*水上(みずかみ)池*
古墳の堀が終わり白壁と竹やぶの間の道を抜けると、右手に大きな水上(みずかみ)池が広がりました。
左手は少し下がって水田地帯が広がり、奈良盆地の遠いところも見ることができます。
これもまた想像以上の溜池の風景でした。検索しても水上池の歴史のようなものがほとんどわからず、池のそばにも説明板はありませんでした。
唯一見つけたのが以下の説明です。
水上池(みずかみいけ・みずがみいけ)は、平城京跡北側の第一次大極殿や遺構展示館等があるエリアからほど近い、佐紀盾列古墳群(ウワナベ古墳群)周辺にある奈良市最大級の大規模なため池です。
天理市との境に位置する「白川溜池」のような護岸で固められた人工的な池を除いては、奈良市内で最も広大な池であり、かつ最も古い池の一つであるとされる水上池は、『日本書紀』の垂仁天皇記において「倭の狭城池及び速見池をつくる」と記される中の「狭城池」にあたると考えられ、その歴史は1300年前の「平城京遷都」をはるかに遡るものであるとも言われています。
(「奈良まちあるき風景紀行」より)
ほとんど人が通ることもない静かな道をてくてくと歩きました。
静かな水面に惹き込まれそうです。真夏の日差しでしたが、畦道にはコスモスや白粉花、名前がわからないのですが秋の草花の風景です。
ツルボもあるはずと目を凝らしながら歩きましたが、ここにはありませんでした。
水上池の西端から水路があり、平城宮跡の方へと流れその間にある水田地帯を潤しているようです。
今まで古墳についてはほとんど関心がなかったのですが、地図で奈良を眺めていると山側に沿ってぐるりと古墳があちこちにあり、その多くが周囲に水を溜めた形であることに気づきました。
2年前に大和川を訪ねて歩いた時に、奈良の中心部が水田地帯なのはくぼんだ地形だからかもしれないという印象がありました。
そしていにしえより水に乏しいという言葉とつながり、古墳の周囲の水は灌漑のためだったらしいことが漠然とわかりました。
中学校の修学旅行で奈良を訪ねたのは有名な史跡が中心でしたが、それ以降1980年代終わり頃と2020年に久しぶりに奈良を訪ねたときに半世紀前どころか何世紀も前の風景ではないかと思う場所があちこちにあり驚きました。
観光資源として保存されているからだと最初は思っていたのですが、むしろ盆地の周囲の小高いところに造られた溜池を中心に今も生活が営まれているからではないか。
そんな印象に変わってきました。
地図に描かれているあちこちの溜池と今の生活をこの目で見てみたい。
そう思って立てた今回の計画でしたが、航空自衛隊バス停前からわずか30分ほどの散歩でその印象が確証に変わっていきました。
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