水に関心を持つきっかけになった玉川上水は、江戸城へとはるばる水を通すためででした。
江戸城はかつて海のそばだったようですが、淡水を得ることが難しかったということが印象に残りました。神田上水から始まり江戸の六上水が造られた歴史があり、それがまた現代の水道の基礎にもなっていったようです。
あちこちの城址を訪ねたくなり始めた理由が、どこからそのお堀に水を引いているのだろうということと、生活のための水をどうやって得ていたのだろうということでした。
「海城」と呼ばれる城址も各地にあることを知りましたが、そのお堀は海水を引き入れるとしても淡水はどうやって得るのでしょう。
案内図に誰が建てたか戦記はどうかなど歴史はまとめられていても、水をどうやって得ているのかまではわからないことがほとんどです。
小浜城趾はどこからの水を使っていたのかわからないまま、列車の時間を考えると今回も「水取」という場所を訪ねる時間はなさそうで駅へと戻ることにしました。
*雲城の水*
そうそう、たしか2年半前に訪ねたときに漁港の近くに湧水があったと思い出して、立ち寄ってみまることにしました。
南川が小浜湾へ流れ込む河口のそばに、深く入りくんだ船溜まりのような場所の一番奥まったところにあるはずです。
記憶の通り小さな祠があり、一段低くなったところに水を汲む場所がありました。
雲城(うんじょう)の水
その昔より一番町は清水湧き出る豊水の地として知られ、
各戸の掘り抜き井戸からは夏は冷たく、冬は温かい恵みの水が絶え間なく流れ出ていました。
この地を育んできた母なる水はいつしか雲城水と呼ばれ、
若狭の自然が溶け込んだ清らかで豊潤な天然水として、広く皆さんに愛飲されています。
半面、水禍に襲われることも多く、そのためこの地に水天宮をお祀りし、毎年七月二十三日、水に対する感謝と、水難避けの祭典を行ってきました。
現在の雲城水と水天宮は、区内在住であった故池野小作・三治氏親子二代にわたる、篤志によって建立、整備されたものです。
平成十六年七月二十三日 一番町振興組合 一番町区
雲城は小浜城の別名雲浜城の意味でしょうか、お城から300mほどの海岸にこんなに豊かに水が湧き出ているとは。数メートル先は漁港の岸壁です。
いつ頃、どのようにしてこの水を見つけたのでしょう。
そして「水禍」とはどのような歴史だったのでしょう。
ふらりと再訪した場所で、期せずして水の神様に出会いました。
「水の神様を訪ねる」まとめはこちら。