散歩をする 424 早島の「不老のみち」を歩く

JR宇野線瀬戸大橋線は、児島湾干拓地の西側を弧を描くように走っていて、途中、大きく曲がるところに早島駅があります。

 

今回、早島を選んだのは子どもの頃から時々耳にした「島」がつく場所を歩いてみたかったからですが、地図で駅前西側に「前潟」を見つけて是非を見てみたいと思いました。

 

さらに水の神様はどこか探していると竜神社があり、その境内に「宇喜多堤起点之地」を見つけました。おそらく干拓に関する史跡だろうと想像できます。その前を通る県道152号線は山裾に沿って緩やかに蛇行していますから、この辺りが昔の海岸線かもしれません。

1時間20分ほどの時間ですから、今回は早島町歴史民俗資料館はあきらめましたが、干拓の雰囲気がわかる水田地帯を歩く計画ができました。

 

宇野線が大きく弧を描く理由*

 

8時52分茶屋町から列車に乗って二駅、8時56分に早島駅に到着しました。

ホームの南側はすぐに水田地帯がずっと広がっています。右手に児島方面の山が見え、やはり海を感じる風景です。

 

駅前は新しい家も多いのですが、古い街並みに合ったデザインに統一されているかのようで、なんだかおしゃれで落ち着く街並みで、そこにやはり水路が縦横に通っています。

駅前の案内板もスッキリしたデザインで、目指す竜神社のあたりから山裾に点線で「不老の道」という散歩コースが描かれています。「不老の道」、健康を意識してつけられたのでしょうか?

 

歩き始めてすぐの用水路のそばに古い写真が載った説明板がありました。

旭橋(明治四十二年三月架設)

 宇野線は、当初の計画では早島を通過せず妹尾から直接彦崎に布設される予定でした。そのため隣町の茶屋町では、鉄道の敷設と駅の設置運動を盛んに展開していました。これを知った早島町でも、急ぎ宇野線の早島通行と駅の設置を求める陳情を神戸の鉄道管理局に繰り返し行いました。その甲斐あって、宇野線は計画を変更し早島、茶屋町を経由することになり、明治40年2月24日、早島の地に鉄道布設の最初の杭が打たれました。そして、その日の朝、東の空には見事な朝日が昇ったといいます。

 その後、早島駅の開設に合わせ駅筋が整備され、二間川にも橋が架けられることになりましたが、橋の名はあの時昇った朝日にちなみ旭橋と名付けられました。

この石柱はかつての旭橋の親柱です。

 

現在のJR宇野線が弧を描くように走っているのは、てっきり干拓前の海岸線沿いの地盤の硬い場所を選びながら街をつないでいたのだと思っていました。

20世紀に入ったばかりの頃にはすでに干拓直後の柔らかい地盤に線路を通す技術があって、最短距離を通す計画が可能だったということでしょうか。

そして同じ案内板に「布設」と「敷設」を使った意図は何でしょう。

 

小さな橋にも、そこに住む方々の鉄道の記憶が鮮明に遺されるものですね。

 

 

*「不老のみち」*

 

早島駅前の北西側は、いかにも「前潟」を干拓したという平地に真っ直ぐな用水路と道路が通っていましたが、数分ほど北へと歩くと蛇行した道が山沿いに通る場所になりました。

道路よりも高い場所に、竜神社とその広い境内がありました。

 

入り口に「不老のみち」の案内図がありました。

 そのむかし、早島は「吉備の穴海」と呼ばれる海に浮かぶ、ひとつの島でした。その島は長い時の流れの中でいつしか陸となり、人々はさらに沖へ沖へと陸を広げていきました。そして江戸時代ここ早島は旗本戸川家が治めるところとなり、新たな大地には藺草が植えられ、まちには四国への道が通りました。

 聞こえてきませんか。干拓の槌音が畳表を織る機械の音が。そして、由伽や金比羅詣でに向かう旅人の声が。

 不老の道は、その昔人々が歩いた道をたどりながら、早島の歴史や文化にふれていただく散策道です。はるかな時をへだて、いにしえの人々の早島にかけた熱い想いを感じてみてください。

 

帰宅したらゆっくり読もうと写真を撮って通り過ぎました。

 

「新たな大地には藺草が植えられ、まちには四国への道が通りました」

「聞こえてきませんか。干拓の槌音が畳表をおる機械の音が。そして由伽や金比羅詣でに向かう旅人の声が」

 

祖父の家には畳を織る機械があってい草の香りを思い出すのですが、「藺草」と書くのですね。初めて漢字を見ました。

そして晩年の母との会話から、い草を刈る時期には、四国から応援の人が集まってきたことを知り、昔は船しか交通手段がなかったのに四国とそんなつながりがあることに驚きました。

そしてそれほど旅が好きというわけではなさそうだった母が60代になると、認知症の父を連れて、何回かにわけて四国巡礼ツアーに参加していたようです。

 

祖父から母へそして私へと続く何かを求めて歩いていること、それがまさに「不老のみち」という意味だったようです。

 

 

*おまけ*

 

「由伽」はどんな意味かわからず、まず小倉の旅人の神様の瑜伽神社を思い出しました。

検索すると瑜伽大権現の意味でしょうか。いずれにしても旅が関係していそうですね。

 

 

 

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