水の神様を訪ねる 80 松川除け沿いのお地蔵様

美しい庄川を眺めて岩魚を味わったあとは庄川の堤防ぞいに弁財天まで歩いて、そこからしばらくは散居村内の幹線水路のそばを散歩する計画です。

 

ここへ向かう途中の 砺波駅から庄川水記念公園へ向かうバスの車窓から、庄川そばの浄水場のような場所に案内板と石像が見えました。それが気になって計画を少し変更し、堤防から離れて立ち寄ることにしました。

 

庄川中学校の敷地の西側が一段高くなっていて、「ふれあい花街道」という遊歩道になっていました。高い場所から庄川の堤防を眺めながら歩くと「松川除」という交差点にでました。

「かわよけ」と読むのだろうとわかったのは、ここ数年の散歩の成果です。

 

小高い道は浄水場へとつながっているので、昔の堤防を現在は水道管を保護することも兼ねて利用しているのかなと想像しながら歩いていると、あの車窓から見つけた石像がありました。

 

*「松川除堤防と御川除地蔵」*

 

庄川の堤防に挟まれた低地に田植えが終わったばかりの水田が見え、そしてこの少し高い場所に案内板がありました。

 

松川除堤防と御川除地蔵

 松川除堤防は、庄川の扇頂部に位置する治水遺跡である。千保川を主流としていた庄川は、天正十三年(千五百八十五)の中部大地震によって、東に新しい現川筋を作った。

 江戸時代初期、加賀藩は処分流を締切って現川筋に一本化するため、扇頂部左岸に堤防の築造を計画した。工事は寛文十年(一六七〇)に始まり、正徳四年(一七一四)に完成したが、幕末に至るまで補強され続けた。長さは八百五十間(一五三〇メートル)。後年、前方に前堰が設けられた。

 中野発電所横の堤防で、現在県道高岡庄川戦が通っている。文化四年(一八〇七)根固めのために松を植えられたことから、今も地元では松川除と親しく呼んでいる。

 御川除地蔵(おんかわよけじぞう)は、松川除堤防の下流側に造立されている。

古様な阿弥陀如来坐像で、台座に「御川除」と刻まれている。高さは九十二センチ。地元の金屋石を使用し、松川除堤防の安泰を願って江戸時代中期に作成されたものと推測される。

  平成二十年二月二十七日指定 砺波市教育委員会

 

残念ながら記録した写真を拡大しても「松川除と親しく呼んでいる」のフリガナが読めないのですが、地元では「まつかわよけ」とは違う呼び名があるようです。

 

この反対側も一段低くなって、中部電力の施設の向こうに砺波平野の水田地帯が広がっていました。

 

この時には「昔の堤防」の高い場所だろうぐらいで先を急いだのですが、ここが現在の庄川の流れになった歴史の中でも重要な場所だったことに、こうして記録をまとめて気づいたのでした。

 

バスの車窓にふと見えた石仏でしたが、大事な場所だから立ち寄りなさいと呼んでくれたかのようです。

 

 

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