九頭竜川資料館を訪ねて、鳴鹿大堰についてや九頭竜川の治水の歴史を知ることができました。
ただ、今回の散歩の目的である芝原上水について展示や資料がなかったので、それはどこに行ったら出会えるのだろうと思いながら資料館を後にしました。
永平寺川河口の左岸側には堤防の下に水田地帯が広がっていたのでそこを歩いてみようと思ったところ、資料館のそばの堤防に何か説明板があるのに気づきました。
ここは芝原用水取水口です。
芝原用水は、慶長十二年(一六〇七)結城秀康の命によって作られ多くを城下の飲み水や農業用水として使用され、一部を城内に引水して濠水(ほりみず)や御泉水(おせんすい)として利用されてきました。
特に飲み水は、「お上水(じょうすい)」と呼ばれ厳しく管理され、芋などを洗っただけでも罰せられました。
また、江戸時代には四月から九月まで、用水から分けられた水を五十三ヶ村の農業用水として利用され、約四万石の田畑を養ってきたと伝えられています。
芝原用水取水口は、昭和二十九年に完成した鳴鹿堰堤でこの地に移り、九頭竜川鳴鹿大堰建設事業により新しい取水口となりました。
九頭竜川鳴鹿大堰は、永平寺町岡区の方々をはじめ、関係自治体や九頭竜川鳴鹿堰堤土地改良区連合など多くの方々の多大なご協力を得て完成したものであります。
案内板には、かつての九頭竜川と裏川に挟まれて中州があった頃の流れが描かれていました。
九頭竜川資料館に向かう時には川の方向ばかりを見て歩いていたので、この大事な説明を見逃していたのでした。
*取水口から幹線用水路沿いに歩く*
案内板のある堤防の上から低い場所に降りると、2列の幹線水路が緩やかに南西へと曲がりながら続いていました。
ここが地図では九頭竜川流域防災センターの南側に貯水池のように描かれている水色の場所だったようです。
資料館を出た頃から、外は風が強くなりはじめました。日差しも強いので日傘をさそうにも飛ばされそうです。
傘の柄を首で押さえながら、なんとか写真を撮りました。
しばらく幹線水路の2列の轟々と流れる水面を眺めながらそばを歩くと、国道416号線の手前で暗渠になりました。
水田からは緩やかに上って、国道416号線は堤防と同じくらいの高さでしょうか。
現代の芝原用水の取水口を見ることができて満足しました。
高台を走るえちぜん鉄道の車窓から見えた街道沿いの街のあたりが、かつての芝原上水の取水口のようです。
想定外の強い風に挫けそうになりながらも、せっかくここまできたのだからと歩きはじめました。
川のそばで暮らすのは大変と思いながら、出かける時にはいつもこの川風のことを忘れてしまっています。
美しい川に近づくには、要注意ですね。
そして、こんなに風の強い場所に強固な治水や利水の施設を造り維持する仕事は大変だと思いました。
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