米のあれこれ 65 丹那トンネルと丹那断層の上の水田

バス停から下って水田地帯へと向かう途中で、勢いよく流れる水音が聞こえてきました。

地図では、丹那盆地の北側から南西へと流れる柿沢川と盆地を囲む山々から細い水色の線が水田へと向かっています。この水も水田を潤す水のようです。

 

盆地はぐるりを歩いても1時間ほどで歩けそうです。ただただ水田を眺め、そして丹那トンネル・新丹那トンネルの上に立ってみたいという酔狂な目的の散歩でしたが、地図に「丹那断層公園」を見つけました。

ちょっと地理の勉強もしようと立ち寄ることにしました。

 

*丹那断層の上の水田*

 

坂道を下ること数分で、「盆地の底」とも言えそうな平な水田地帯に出ました。田植えからそれほど時間がたっていないのでしょう、まだ水鏡に山々が映る田んぼの風景です。

山の向こうに残雪の残る富士山の山頂が見えました。

 

 

水田を囲むように家が続いていて、道なりに歩くと公園がありました。ここもそばに小さな川に轟々と水が流れています。

 

国指定天然記念物  丹那断層と北伊豆地震

 北伊豆地震は、昭和5年(1930年)11月26日午前4時2分に発生し、地震の規模はマグニチュード7.3、震源丹那盆地付近の地下5km以内、震央付近の震度6という直下型の大地震でした。

 この時動いた断層は、箱根芦ノ湖から伊豆市修善寺まで続く、長さ約30kmの丹那断層帯の代表的な断層です。

 本指定地はその時に活動した丹那断層のずれの跡を良く示す場所です。丹那断層はこれまでの調査により、過去6000年から7000年の間に小さな活動も含め9回の断層活動があったことが知られています。その中には「続日本後紀」に記されている承和8年(841年)の伊豆国地震震源が丹那断層であったことがわかりました。本断層は約700年から1000年の周期で活動を繰り返し、約2kmの割合で左横ズレを続け、約50万年前から現在に至るまで左横ずれ1km、西側地塊が100m以上隆起したと推定されます。本断層は繰り返し活動をしてきた活動層です。      文化庁/静岡県教育委員会/函南町教育委員会

 

そばに断層地下観察室があり、公園は横ずれがわかるようによく手入れがされていました。基礎知識がないのでわからないことばかりでしたが、地震直後の写真を見ていたところ蜂の羽音が聞こえてきたので残念ながら退散しました。

 

この地震での崩落事故もあったようです。

北伊豆地震

 1930年(昭和5年)、西から掘り進んでいたトンネルが明瞭な断層に到達した。断層を突破するために数本の水抜き坑を掘削していた最中、その断層を震源とする北伊豆地震が発生した。これによってトンネル内で崩落事故が発生し、巻き込まれた5人のうち3人が死亡している。

ある水抜き坑では切羽全体が横にずれて、坑道一杯にきれいな断層鏡面が現れた。地震で断層が動いた影響で、熱海側(東側)の地面が函南側(西側)に対して北へ2mほど移動した。このずれのため、本来直線で貫くはずだったルートが、わずかにS字型に修正されている。

Wikipedia丹那トンネル」)

 

「もし計画があと1年遅かったら」「もし地震が起きなかったら」

「もし」しか思いつかないほど理不尽な歴史が、この盆地の表層と地下で起きていたのですね。

 

 

真っ青な空に富士山、そして山々の緑に静かな風、あちこちから聞こえる水の音。

昭和の初め頃には大地震とトンネル工事による渇水により大変だったことが信じられないような、美しい水田地帯です。

当時の人たちは、こんな一世紀後の風景を想像もできなかったことでしょう。

 

 

全国津々浦々の水田が健在の風景、ひとつとして同じ歴史はなく、それぞれ苦難と理不尽と葛藤が埋まったものだと思えてきました。

 

 

 

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