2018年に疏水という用語を意識し始めて、安積疏水や琵琶湖疏水を訪ねました。
疏水という言葉は知らなかったけれど、この「山の上にある湖から水路をひく」ことは小学生の頃から知っていたと思い出したのが深良用水でした。
江戸時代にあの箱根の芦ノ湖からトンネルを掘って用水路を建設したことが、子ども心にもなんだかすごいと記憶に残り続けていたのでした。
玉川上水への関心から、いつの間にか祖父の水田の周囲の用水路への郷愁となり、川や干拓地まで見て歩くようになったのですが、もっとたどっていくとこの深良用水も動機の一つだったと思います。
人生は摩訶不思議ですね。
いつか訪ねたいと思いつつなかなか行けなかった理由に、深良用水についての詳細な記録や説明が案外とないことでした。
地図を眺めていると、芦ノ湖スカイラインと箱根スカイラインが分かれるあたりの湖岸西側に取水口らしき水色の線があります。
すぐに水路らしい水色の線が途切れ、山の中腹あたりからまた水色の線が始まり、岩波駅のあたりで水路や川が合流したり別れたりしながら、深良という地名にたどり着きます。
実際に歩いた人たちの記録とつきあわせながら、この辺りだろうということは見当が付いたのですが、一人で歩くとなるとどのあたりが良いのか計画が立たないままでした。
なんども地図を眺めているうちに、関わりがありそうな神社をたどってみようと思いつきました。
*岩波駅から芦ノ湖水神社へ*
三島駅からバスで裾野駅に行き、JR御殿場線で雄大な富士山の麓に広がる水田地帯を眺めて岩波駅に到着しました。
駅から細い水路沿いに南へと下り坂を降りると、「一級河川 深良川」の標識がありました。
左側の山肌に沿って流れる浅瀬の美しい川で、右側は少し低くなって、三島の方へとなだらかな斜面に車窓から見えた水田地帯が広がっています。
「深良用水美しい水と緑保全の会」という立て看板が立っていました。
これが芦ノ湖からトンネルを経て流れてきた用水路です。
真冬でも滔々と水が流れていました。
この水路がなければ水田地帯もなかったと思うと、箱根の山にトンネルを人力で掘って芦ノ湖の水を得るということを江戸時代の人たちがどうやって思いついたのだろう、そしてうまく山肌に水路を作ることをどうやって見出したのだろうと、小学生の頃の素朴な驚きが蘇ってきました。
遊歩道のようになっていて、散歩をしている地元の方々とすれ違いました。
1kmほど深良用水に沿って緩やかな上り坂を歩くと水力発電所があり、そこに「日本疏水百選 深良用水 古川堰」という小さな水門がありました。
そして地図では深良用水が水色に描かれているのですが、ここから上流はほとんど水がなくなりました。現在は水力発電用の暗渠へ水が流れていて、先ほどの分水堰のあたりで今度は農業用水路へとなって流れているようです。
そばに「土石流危険渓谷」と、大雨の際の注意喚起の表示がありました。
古川堰からは、芦ノ湖スカイライン方面へ向かう車が時々通過するくらいの人気のない県道仙石原新田線を歩きます。
水のない深良用水を眺めながら坂道を登ること800mほどで、雑木林のなかに目指す神社がありました。
参道もよくわからなくなっている林の中に深良用水を眺められるような東屋があり、そこに古い小さな祠がありました。
地図ではここから3~4km上流に、下穴口というトンネルの出口部分があるようです。
神社には説明は何もなかったのですが、そこに立つだけで大昔の水を求め水と闘ってきた時代に引き戻されていくような感覚になりました。
「水の神様を訪ねる」まとめはこちら。