水の神様を訪ねる 85 東大宮から丸が崎の氷川神社

大宮市内には総本社以外にいくつも氷川神社があるのですが、問題は公共交通機関があまりない水田地帯ということです。どうやってそこまで歩こうか、2か所3か所と訪ねるにはどういうルートがあるかとけっこう悩みます。楽しい悩みなのですけれどね。

 

その中で比較的駅に近い場所にある氷川神社を7月中旬に訪ねてみました。猛暑ですから、体力がもたなかったら駅まで引き返しやすそうです。

 

新宿湘南ラインに乗り大宮駅を過ぎると見沼代用水西縁と排水路である芝川を越えて、東大宮駅で下車しました。

東大宮駅は見沼区の見沼代用水西縁と東縁にはさまれた場所ですが、地図を見ると付近に「丸が崎」とか「島」といった地名があるので少し高台なのだろうと見当をつけていた通り、駅前は水田もなく住宅街でした。

 

東大宮の氷川社*

 

駅から少し東南へと歩くと、平地の先に鎮守の森が見えました。けっこう大きな森です。

すでに汗がどっと出始めていますから、早く木陰に行きたいとその方向を目指しました。

 

どうやら境内の裏手から入ってしまったようです。社殿の後ろを通り、参道を抜けると御由緒が書かれていました。

氷川社 御由緒

 当社の創建は『風土記稿』に当時の砂村の隣村堀崎村の項に「氷川社当村及び砂村の鎮守なり、大聖寺の持」と当社についての記載が見える。しかし、氏子は「氷川社は古くから砂村の現在地に鎮まっている」と伝えていることから、往時は堀崎村の飛地となっていたことが考えられる。あるいは別当大聖寺が堀崎村にあったことが一因したものであろうか。大聖寺は艮障山寿命院と号する天台宗の寺院であった。その開山と氷川社の創建は明らかではないが、慶長十七年(一六一二)八月の「堀崎村御検地水帳」にある大正寺は同寺のことと思われる。同寺は神仏分離を経た明治五年に廃寺となった。

 当社は明治六年四月に村社に列し、同九年に本殿を改築した。明治二十二年に今羽(こんば)村・西本郷村・土呂(とろ)村・大和田村・堀崎村・島村・砂村の七ヶ村が合併し、新たに大砂土(おおさと)村が設置されるとこの村の惣鎮守となった。明治四十年二月に拝殿を建立し、同年九月には、旧砂村の無格社稲荷社(三社)・同八雲社、旧島村の村社熊野社、無格第六天社、旧堀崎村の無格社稲荷社(二社)・同熊野社などを合祀した。

 

⬜︎御祭神と御神徳

素戔嗚尊・・・武運長久、厄除け、商売繁盛

 

御由緒から少し離れた場所に石柱があり、関東大震災でこのあたりでは住宅と鳥居の倒壊があり「有史以来未曾有の大災害」であった記録が残っていました。

 

「砂村」は現在の砂町のあたりでしょうか。JR東北本線の北側の見沼代用水西縁と芝川が流れるあたりです。

川や水路の気配のない高台に鎮座している氷川社ですが、昔はこの高台の下で新田開発が行われたのだろうかと想像しながら、次の氷川神社を目指しました。

 

 

*丸が崎氷川神社

 

東大宮の氷川社の前の道をまっすぐ北東へ歩くと、高台の平地に見えていたこのあたりの地域ですが、西から東へと交差する道が全て東側へと下り坂になっています。台地の縁(へり)を歩いていることを実感しました。

その先が「深作」地区のようで、そこに見沼代用水東縁が流れています。地図でこの地名をみて、いかにも台地の下の水田地帯だとイメージしていた通りです。

 

しばらく歩くと広い藁田島(わらたじま)公園があり、「洪水」「崖崩れ」の緊急避難場所になっていました。

台地の下に住む人たちのための避難先でしょうか。

 

西側には平地が続いていて、その一角にまた大きな鎮守の森が見えました。

石で囲まれた広い境内は、歩くのがはばかられるくらいきれいに掃き清められています。

 

ただの石垣でもなく、周囲の道よりもなかの境内が一段高くなっているようにも見えます。

周囲の家々も、高台で周囲に大きな河川もないのに嵩上げしているところもあります。

利根川の洪水が江戸まで及んだことを思い出しましたが、この地域はどんな治水の歴史があるのでしょう。

残念ながら境内には御由緒がありませんでした。

 

「丸が崎町」の地名の通り、ここから数百メートルほど北東へ歩くと下り坂になり、その下に見沼代用水東縁が流れていました。

 

そこから1.5kmほど上流で、綾瀬川を瓦葺掛樋で越えた見沼代用水が西縁と東縁に分水される場所があります。

そのあたりは広い水田地帯だったのですが、少し離れると大宮台地をはさむようにしてその縁(へり)を見沼代用水が流れていることがわかりました。

 

 

 

*おまけ*

氷川社の御由緒の中に「艮障山寿命院」とあり、何も考えずに「良」と打ち込みました。

ふと気になって検索したら「艮(うしとら)」という字があるのですね。

御由緒を読むと、ほんと、色々な勉強になります。

 

 

 

 

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