水のあれこれ 333 八ヶ郷用水の水面を眺める

酒津池の北側の樋門からの八ヶ郷用水はじきに水量の多い水路になりました。

左岸の遊歩道をたどると、「高梁川改修記念工事」と彫られている大きな石碑がありました。

小高くなった場所へ階段があるのですが、少し足がすくみそうです。

そしてその真下から八ヶ郷用水はぐいと東へと向きを変えているのが見えました。

 

高梁川ハ縣下三大川ノ首位ニ在ツテ全國第一期改修二十河川ノ一タリ其灌漑〇(読めず)域頗(すこぶ)ル廣ク水利甚ダ大ナルモノアルト共ニ水害區域亦従ツテ廣ク被害激甚デ極メタリキ即チ洪水ニ際シ堤防道路等ノ破壊農作物其ノ他損耗筆舌ニ絶シ人畜ノ死傷住宅衛生上等ノ損害亦測知スベカラザルモノアリキ是ニ於テ政府観ル〇(検索しても見つからず)アリ明治四十年改修ノ工ヲ起シ工費七百九拾餘萬圓ヲ計上シテ内務省直轄工事トシ左岸湛井ヨリ右岸奉村ヨリ下流全部ヲ改修セリ其ノ規模雄大其ノ工事堅牢之ヲ既往ノ事實ニ鑑ミルニ恐ラクハ将来再ビ惨害ヲ蒙ル憂ナカルベク永ク沿岸一帯ノ福利ヲ増進セン茲(ここ)ニ大正十四年四月竣工ヲ見ルニ當リ直接之ガ恵澤ニ浴スべキ吉備都窪渡口児島四郡四十五箇町村相謀リ此ノ碑ヲ建設シ以テ永遠ノ記念トス

(フリガナは引用者による)

 

ここから滔々と流れる美しい八ヶ郷用水の風景はまだわずか一世紀ほどの歴史で、それ以前は大きな水害によって阿鼻叫喚の様相になる地域だったようです。

 

そういえば、2日目は時間がなかったので児島駅のベンチでおにぎりを食べただけでお腹がすいてきました。用水路の対岸に古い家を利用したカフェが見えて引き寄せられるように入ると、八ヶ郷用水を眺められるように窓辺にカウンターが作られています。

コーヒーとケーキを注文し、水面を眺めながら休憩しました。

 

太陽の光にキラキラと水面が輝き、水草が揺れているのが見えます。

水面は静かなのに、木の葉が時々さーっと流れて行きました。

お店の中には先客が何組かいましたが皆さん静かで、水の流れる音が聞こえていました。

 

一世紀後に治水や利水が達成されるだけでなく、こんなすてきな水辺になるとは想像もしていなかったことでしょう。

 

 

*この水はどこから*

 

 

そしてこの目の前の水が祖父母の水田へと流れていた水であり、2018年以来干拓地やため池、そして用水路が気になりだしたのですが、祖父母の水田の水はどこからきたのだろうという答えにようやく辿りつきました。

 

 

帰宅して明治の3つの大水害沖野忠雄氏を始め多くの人の尽力による河川大改修について検索し、この碑文の意味がもう少し深く理解できました。

 

それにしてもこんなに歴史的に重要な場所を、なぜ母は知らなかったのでしょう。

 

高梁川改修と東西用水酒津樋門が竣工して9年後の1934年(昭和9)生まれの母にとっては、それこそ生まれる前からある当たり前の施設だったのかも知れませんね。

現代では蛇口をひねると出る水が当たり前で、私自身それがどこからきているかなんてふだんは考えなかったように、足元の大事な歴史に気づくことはなかなかないものですからね。

 

 

 

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