散歩をする 472 酒津配水池から酒津の街を歩き八ヶ郷用水へ

酒津(さかず)公園内の高梁川東西用水組合設立100周年記念碑や高梁川改修記念碑を読み、いよいよ配水池の周囲を歩きます。

2018年に訪ねた時は何本も水路がわかれる樋門の上を歩いただけでした。

 

地図で見ると、酒津池の北側に水色の線が伸びています。2018年に初めてこの場所に気づいた時は、北側からの「川」がこの高梁川から取水した配水池に合流しているものだと思っていました。

何度も眺めているうちに、これもまた用水路で、山側からの小さなため池や川の流れを合わせながら東へと流れ、江戸時代ごろからの干拓地を潤しているらしいことが見えてきました。

そして途中何箇所か、南へと分水されていて、そのうちの1本が倉敷駅の東側を通って祖父母の水田へと流れていたのではないかとつながってきました。

今回はこの北側の用水沿いを歩いてみたいと計画していました。

 

 

「酒津配水池の案内」によると南側は西岸用水と西部用水と2本からなる「西岸用水路」が高梁川ぞいに南西へと流れ、南部用水・備前樋用水・倉敷用水の「南部用水路」が南へと描かれていました。倉敷用水はこの樋門から100mほどでさらに分水されて倉敷駅の南西へと流れていくようです。

前回は南部用水と備前樋用水が2列に流れている場所から樋門まで歩きました。

 

案内図では、北側への流れは「八ヶ郷用水」と書かれています。

地図ではしばらく高梁川に並行して描かれているので北から南へ流れる川だと勘違いしたのですが、配水池から250mほどは高梁川に逆行して流れ、大きく東へ向きを変えて水量を落とすことなく干拓地を潤すのですから、どのような地形なのでしょう。

 

ぜひ、それを確認したいと思いました。

 

 

高梁川の土手から酒津の街へ*

 

池の西側の土手沿いに八ヶ郷用水沿いを歩くこともできるのですが、左岸側の酒津地区の方が小高くなっているのでそちらを歩いてみたいと思いました。

 

しばらく土手沿いを歩くと、高梁川からの取水口がありました。

幅数メートルぐらいでしょうか、意識していなければ気づかないほど水面が静かですが、よく見ると高梁川からの水がどんどんと池へと流れていました。

南側の5つの樋門の内側まで見ることができます。

ここからの水が、水争いをなくし倉敷の沿岸部の隅々まで田んぼを潤しているのですから、ほんとうにすごい遺産ですね。

 

少し胸が熱くなりながら歩くと、この取水口の付近にはツルボが群生していました。

いつの間にか18000歩を歩いて暑さと疲れがたまっていたのですが、この花を見てまた元気が出ました。

 

池の途中の橋を渡り酒津地区へ向かうと、酒津池の南側の平坦な地形とは異なり池の下へと下り坂になっていました。

石垣の続く狭い道は生活道のようで、けっこう車が通ります。

ふとどこからか醤油の香りがしてきて、つきあたりに倉敷らしい土壁に囲まれた醤油工場が見えてきました。揖保川沿いの街の香りと街並みを思い出しました。

 

入り組んだ街並みをGPSを頼りに歩くと突き当たりの小高い場所にお寺があり、その左側の小道が八ヶ郷用水へ行く道のようで、いったん上ると今度は下り坂になって用水路が見えました。

 

地図では高低差がわからなかったのですが、北側の山との間にこの小高い場所があり、その間に水路を作ったようです。

 

八ヶ郷用水の右岸側だけに遊歩道があるようなので、反対側へと渡りました。

小さな橋ですが、覗き込むと酒津池からの流れはすでに人喰い川の様相です。

 

そして流れはたしかに高梁川とは逆で南から北へと向かい、ここから100mほど北で大きくその流れを東へと変えているのが見えました。

そのちょうど曲がり角の高梁川との堤防の間が小高くなり、大きな石碑がありました。

 

 

 

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