水のあれこれ 100 母の用水路の記憶

母に水が張られた田んぼが美しいという話をしたら記憶を刺激したようで、水についての昔話をたくさん話してくれました。

 

「すぐそばの川は、ほんとうにきれいな水が流れていたのよ」「学校から帰ると、畑からトマトをとっきてその川にポンと投げて、そこで洗って食べるの」。

どうやら母の言う「川」は用水路のことのようでした。

私が小学生の夏休みに遊びに行った頃も、まだ周囲は草に覆われて土で固めた水路だった記憶がありますから、あれが母にとっての川でした。

 

「田んぼの角に、水を取り込むところがあるでしょ?あそこでドジョウとかたくさん採れたの」「川にはフナや小さな魚がたくさんいて、ちょっと網ですくうだけでいっぱい採れて、それを煮て食べたの。ほんとうに美味しかったわね」「川にはしじみもたくさんいたし、水門の方に行くとウナギもいたのよ」「いとこが魚取りがうまくて、夜になるとウナギを採りに行ってた。それを焼く匂いが美味しそうだったけれど、その家のおばさんがケチで、絶対に分けてもらえなかった」「女の子は『魚採りなんてしてはいけない』と言われていたから、しじみぐらいだったわね」

「水」から連想することの多さは、親子で似ているものだと可笑しくなりました。

 

ただ、母もまたその水がとこからくるのかまでは考えたことがなかったらしく、東西用水酒津樋門のことは知らなかったようです。

 

私が小学生の頃もまだまだ「女の子はそんなことをしてはダメ」と言われることが多い時代だったけれど、そういえば裏山の清流で沢蟹をとって遊んでいたけれど、やめなさいと言われた記憶がないのは、本当は母も魚採りとか好きだったのかも知れません。

 

水田と水路というのは、お米だけではない豊穣な恵みをもたらしていた場所だったことを母の記憶からまた知りました。

たとえ干拓地という人工的に作られた場所でも、時間をかけてまた生き物が育つ場所になっていた時代があったことも。

 

 

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