記録のあれこれ 170 「霞堤」や「放水路」のある地域では何が起こっていたのか

2023年6月2日から3日にかけての水害のニュースが次々と伝えられる中、平坦な地形に立つ病院が茶色い水の中に浸水している映像が映った時に「豊川放水路」のそばだと直感しました。

ほどなくして「豊川放水路ができて以来の水害」のようなニュースがあったような記憶があるのですが、豊川放水路が機能しなかったのだろうかと気になっていました。

 

今回の散歩のあと、当時の記事を検索して水害の1週間後に書かれた記事を見つけました。忘備録のために記録しておこうと思います。

 

線状降水帯による記録的豪雨で被害 「霞堤」や「放水路」のある愛知・豊川流域では何が起こっていたのか

(関口成人氏、Yahoo!ニュース、2023年6月9日)

 

 

 6月早々、台風2号の影響で発生した線状降水帯が太平洋側の各地に記録的豪雨をもたらした。中でも愛知県は東部の豊橋市豊川市に警戒レベル5の「緊急安全確保」が出され、豊橋市では車の水没によって1人が亡くなった。

 

 被害の出た豊川(とよがわ)流域は古くから河川の氾濫が繰り返され、江戸時代には「霞堤(かすみてい)」、戦後は「豊川放水路」などの整備が進められてきた地域だ。

 

 私は2年前にこの流域をたどるルポをまとめており、当時の取材先がこれまで以上の被害を受けたと聞き、再び現場を訪ねた。今回はいったい何が起こっているのだろうか。

 

12年前の大損害時より60センチ高く浸水

 

 6月2日、豊川市で農業を営む小野田泰博さんは午前7時頃から今回の雨が「ヤバい」と感じた。自宅裏の用水路を流れる水の勢いが、いつもよりかなり速かったからだ。

 小野田さんは市内に点在する畑で数種類の野菜を生産している。この日は午後に予定していた野菜の配送を急きょ午前中に早め、昼からは自宅1階のピロティ部分の農機具などを片付け始めた。しかし、午後1時ごろには「水があふれてきそうだ」と判断して2階に避難した。

 代々この場所に構える自宅は、豊川の堤防が切れる「霞堤」の目の前だ。小野田さんが農業を始めてから、これまで最も大きかった被害は2011年9月。1階が90センチ浸かり、野菜も農機具もすべてだめになった。

 しかし今回、1階の柱には150センチの浸水跡が残った。出荷前の野菜や資機材はぐちゃぐちゃに散乱。3日間を掛けてあるていど片付けたが、収穫や出荷が本格化するという時期に打撃は大きい。

 「ここまでは大丈夫だろうと上げておいた野菜のかごやトラクターも浸かってしまった。機械が使えないと耕作や収穫もできず、その損害をどこまで保険でまかなってもらえるかわからない」と小野田さんは肩を落とす。

 周辺のバラ農家などもビニースハウスが深く水に浸かり、大打撃を受けているという。

 

 

豊川放水路は越水せず、道路冠水は内水氾濫

 

 「霞堤」は元来、豊川の右岸(北西側)、左岸(南東側)の両岸にあった。しかし1965(昭和40)年、豊川の最下流に全長6.6キロの人工河川「豊川放水路」が整備されたのに伴い、右岸側の霞堤はすべて締め切られた。一方、小野田さんの住む金沢地区など左岸側4地区の霞堤は残され、豪雨時にはあえて左岸側を溢れさせて流域全体を守るという形になった。

 だが今回、数十台の車両が立ち往生した道路冠水や病院施設などの浸水は右岸側、豊川放水路の外側で起こった。

 一級河川である豊川を管理する国土交通省中部地方整備局豊橋河川事務所によれば、豊川放水路は普段ゲートを閉め切り、豊川の水を流していない。しかし、ゲート付近の「放水路第一水位観測所」の水位が5メートルを超え、さらに上昇していたらゲートを開放する運用となっている。増水した豊川の水を速やかに下流の海へ放出するためだ。

 今回、2日午前10時には放水路第一観測所の推移が5メートルを超えて上昇したため、同事務所は関係機関に連絡した上で午前11時13分からゲート開放の操作を始めた。

 これによって放水路自体は持ちこたえ、放水路からの越水はなかったという。にもかかわらず周辺で激しい道路冠水や浸水が起こったのは、放水路の外側に雨水が直接たまる内水氾濫だったからだとみられる。

 河川事務所が公表した各水位観測所の水位データを見ると、上流の「石田」観測所よりも下流の「当古(とうご)」や放水路第一の方が上昇時のカーブの膨らみが大きくなっている。今回は線状降水帯によって豊川の下流部に大雨が降り続けた災害だったと言える。

 

 

霞堤も下流側が先にレベル4発令状態に

 

 霞堤についても、本来は上流から下流へと順番に水をあふれさせ、最下流の城下町(現在は市役所周辺の市街地)を守るのが役割だが、今回は必ずしもそうではなかったようだ。

 霞堤では地区ごとに石田水位観測所の水位を基準として警戒レベル情報が発令される。上流の金沢・賀茂地区(主に豊川市)は石田の水位が5.7メートルを越えた時、下流の下条(げじょう)・牛川(主に豊橋市)は同7.4メートルを超えたときがレベル4(避難指示)というのが現行の基準だ。

 しかし今回、下条・牛川(賀茂の一部も)には午後1時40分に豊橋市からレベル4が発令された。上流の金沢・賀茂に豊川市からレベル4が発令されたのは午後2時20分だったため、下流の方が早めの避難を呼びかけられた形だ。豊橋市防災危機管理課は「石田の水位は基準を超えていなかったが、他地点の水位データなどからの総合的な判断で、早めの発令となった」と説明する。

 

 

レベル5が発令されない霞堤で死者

 

 一方、午後4時20分から30分に掛けては、さらに下流方面で豊川とは別の水系になる梅田川・柳生川が氾濫したとして両流域にレベル5が発令された。

 雨はその後も降り止まず、午後10時22分には豊川市が市全域にレベル5を発令。しかしその直前の午後10時10分頃、下条地区では農地の中で水没した車が発見されている。乗っていた男性は車内に閉じ込められていた状態で、病院に運ばれたが死亡が確認された。

 下城地区では霞堤内の簡易水位計の観測状況などから、愛知県によって2日午後3時半ごろから幹線道路の通行止めが行われていた。男性は通行止めの前に地区に入り込んだか、通行止めの範囲外の道路を走ってしまったとみられる。

 国や市によれば、霞堤は氾濫を前提にしているので、霞堤地区を対象にしたレベル5は発せられないという。まさに命に関わる災害が発生しているという緊急安全確保の状態が伝わりにくいと言えないだろうか。

 

 

「住民の犠牲で成り立っていいわけがない」

 

 霞堤がなければ、もっと被害は広がっていた可能性もある。国は流域全体で治水対策を進める「流域治水」の中で霞堤の活用を促している。

 豊橋河川事務所の担当者は「霞堤は昔から下流域を守るために造られたもので、効果がなくはない。ただ、今回のような災害でどれだけの効果だったかと言われると難しい」と話す。

 小野田さんも「霞堤をなくしていいとは思っていない」としながら、「それが住民の犠牲で成り立っていいわけがない。真っ先にあふれさせるところに正確な情報が来ず、被害を受けた時の補償や移転を含めた支援の話なども先延ばしにされてしまっているのが現状だ」と指摘する。

 複雑な地形に、複雑な歴史が絡む川。そこに災害は形を変えながら襲ってくることが今回、浮き彫りになった。一刻も早い検証と対策が求められるだろう。

 

 

今回は、豊川放水路よりも外側の内水氾濫らしいことを知りました。

雨の降り方一つで被害の状況が大きく変わるので、警報を出すとか対策を立てるのは本当に難しいことですね。

 

あの霞堤の地域のそばを流れる牟呂用水と、見上げるような崖の上に集落がある風景、そして豊川と豊川放水路の河口付近の集落や水田地帯を思い出しながら、上流から下流の治水について調整をする立場というのは大変だと改めて思いました。

 

そして住民と専門家と行政の葛藤を理解するためには、こうした一つ一つの「症例報告」ともいえる記録を読むことが大事だと思った次第です。

 

 

 

 

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