散歩をする 205 彦根から近江八幡

琵琶湖にも干拓地があることを初めて知ったのですが、1泊二日でどこをどう回るか時刻表からスケジュールを立てることが優先なので、それらしいところを少し見ることができればぐらいのつもりでした。

 

1日目は、石山駅で下車して琵琶湖の流出河川である瀬田川を見ることが一番の目的でした。

そして瀬田川を少し下ると「水のめぐみ館アクア琵琶」という資料館があるので、以前からそこを訪ねてみたいと思っていました。

そこから逆算すると、午後2時ごろまで他の場所を回る時間がありそうです。

 

「安土」という地名は歴史でも習っているのでひかれるものがあり、さらに「西の湖」の周辺に干拓地らしき場所があります。最初はここにしようと思ったのですが、バス路線がなくて時間的に無理そうでした。

でもなんだか「西の湖」が気になって、なんとかここを回れないかと地図を眺めていたら、隣の近江八幡駅から西の湖の西側の干拓地らしき場所を通るコミュニテイバスがあります。

そのコミュニテイバスの時間に合わせると、その前に1時間ほど余裕がありそうでしたから、最初は彦根に降りて、彦根城周辺の堀と水路を見ることにしました。

 

彦根城と水路*

地図で彦根城周辺を見ると、堀からの水路が琵琶湖に直接つながっています。

駅からもほど近いので、1時間ほどで水路をたどって琵琶湖のほとりを見る計画です。

 

初めての彦根市ですが、駅を出ると目の前に彦根城天守閣が見えます。それだけで、なんと落ち着いた街だろうと、途中下車してみてよかったと思いました。新幹線だと、彦根あたりを通過する時には、小高い場所に遮られて見えないかもしれません。

 

彦根城まで近いと思いましたが、歩くとすでに15分ぐらいかかりました。先を急がなければと、堀が屈曲している方向へと行きました。

堀に沿って遊歩道があるのですが、柵もなく昔の石積みのままです。すぐそばまで民家があるのですが静かな道でした。

地図で予想していたよりもはるかに彦根城の敷地は大きく、大きな水路さえ行く時間はなさそうです。残念ですが、駅に引き返しました。

 

黒っぽい灰色の瓦、木肌に黒い炭で模様をつけたような材木が昔からのこの地域の家に使われていたのでしょうか。新しい家もそういうイメージが組み込まれているので、それもまた美しい町並みを維持しているような印象でした。

水をたたえた堀のそばには水仙ロウ梅が咲いていました。

 

近江八幡で西の湖をまわる*

 

近江八幡駅からコミュニテイバスに乗りました。「このバスは市民の方が優先なので、定員以上になった場合、観光客の方は下車していただくことがあります」というアナウンスがあり、ちょっとビビりました。すでに数人以上は乗っているのですが、皆、どこへ行くのでしょうか。

途中で降ろされたらどうやって計画を変更しようかとドキドキしていましたが、近江八幡市総合医療センターで何人か下車されました。しばらくするとまた、けっこう乗ってきます。「もうこれ以上乗らせないからね」と蜘蛛の糸をつかもうとしている人を払い落としたカンダダの気分です。

そんなに観光客も乗る路線なのだろうかと思っていたら、水郷めぐりのコースがあるようです。シーズン中なら混んでいたかもしれません。

 

 

西の湖と背の高い葦の広がる湿地、そして昔からあるのだろうと思う落ち着いた町並みを抜けると、目の前に広大な農地が広がり始めました。

「大中のスイカ」「水郷を生かした集落営農」といった看板を見かけました。水田も少しあるのですがほとんどが畑のようで、キャベツやビーツを収穫している姿が見えました。

「おおなか」と読むのかと思ったら、「だいなか」だそうです。

 

コミュニテイバスの終点は堀切で、琵琶湖に面した漁港でした。だんだんと人家が少なくなるのに、最後までバスには数人の乗客がいました。

目の前にある沖島行きの連絡船がここから出るようで、10人以上の人が船に乗り込んで行きました。

 

とりあえず、途中で降ろされてしまうこともなく、折り返しのバスには私一人しか乗っていませんでした。

途中の島小学校前から別のコミュニテイバスに乗り換えて、違うルートを通って近江八幡駅に戻りました。

 

実際に風景を見ることで、なぜ「島」小学校なのかわかりました。

昔、いつ頃かはわかりませんが、干拓される前は島だったのだろうと。

 

そしてなんとなく選んだコースでしたが、琵琶湖の干拓の歴史の中では最も大きい干拓地を見たことになりました。

行き当たりばったりのような散歩ですが、ちょっと計画をたてるセンスが磨かれてきたと自画自賛

 

無事に、計画通りコミュニテイバスを乗り継いで近江八幡駅に戻り、次の目的地に向かいました。

 

 

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