落ち着いた街 52 入江地区から梅ヶ原地区へ

私の散歩は水路や川などの地図の水色の場所そしてそばにある神社などを目印に繋げていくので大雑把な計画ですが、実際に歩くことで頭の中の地図にその歴史が書き込まれていく感じです。

期せずして入江干拓の歴史を知ることになり大満足で鎮守の森をあとにして、また用水路沿いに歩き始めました。

 

新幹線が米原駅を出るとじきに小高い山に挟まれた場所に入るのですが、その直前に小さな集落があって山裾に池が描かれた神社があるようです。

 

用水路沿いに歩いていると「梅ケ原用水機場」がありました。目指す街の水田がこのあたりまであるようです。

 

*梅ケ原地区へ*

 

新幹線の高架橋をくぐり、JRと近江鉄道の地下道を通って東口に出ると、どっしりとした瓦屋根の住宅地になりました。

 

湯谷神社のある米原市米原地区と同じように山へと緩やかに道が続いているのですが、ここでは道の下から豊かに水音があちこちから聞こえてきます。

 

時々、後ろから静かな走行音が聞こえてくるので振り返ると、太陽の光に輝く東海道新幹線が通過していきます。

 

途中の掲示板に用水樋門のお知らせが貼ってありました。

用水樋門を4月20日開放します。

なお、期日までに苗代水等を使用する時は必要水量のみ通水し、下流へ流さないよう管理願います。

(天候により変更することがあります)

令和6年3月  入江干拓土地改良区

「用水樋門を開放します」「期日までに苗代水等を使用する時には必要水量のみ通水し、下流へ流さないよう管理願います」

ずっとお米を食べてきたというのに稲作のための「水の歳時記」は知らないことばかりです。こうした一文に出会うと、その地域の生活を垣間見ることができて大満足ですね。

 

山が近づき、その深い森に六所神社がありました。

大きい池があり、そこから轟々と音をたてて先ほどの街の水路へと流れているようです。

そしてその先の水田を潤し、琵琶湖へと流れ込んでいるのでしょうか。

 

 

3月中旬、道端にはムスカリ、梅、水仙沈丁花、蕗のとう、たんぽぽと春爛漫です。

水音に癒され、桃源郷を歩いているかのようです。

 

後ろから軽トラックの音が近づいてきたので道端によると、運転していた方が挨拶をしてくださいました。

こちらこそ(街の中を歩かせていただいてます)という思いで会釈を返しました。

 

また軽トラックが近づいてきて、「どこへいくの?」と尋ねられました。不審者という問い方ではない優しい口調です。

「神社や湧水を訪ね歩いています」「ここは水が豊かに流れていてすてきですね」と返事をすると、「今は水道があるからね」とおっしゃりながらも「(いいところだよ)」という気持ちが伝わってきました。

 

私よりひと世代ぐらい上の方々でしょうか、水道が整備されてきた歴史を実感しつつ湧水のある街で田畑を守り続けてこられた、そんな驚異的に変化した時代にこの地を守ってきた矜持を感じました。

 

最近新しいものは古くなり、古いものは新しくなると感じることが増えたのですが、「米原には何もない」と遊興施設を建てて人を集めお金を儲けようという考え方は古臭く感じる時代に入ったような気がしました。

 

 

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