散歩をする 513 ただひたすら川と水路と田んぼと新幹線を見に〜米原・彦根・日野編〜

散歩の記録が4ヶ月遅れに突入しそうですが、ようやく3月中旬の遠出の記録です。

 

東海道新幹線で岐阜との県境を越えると伊吹山がどんと見えて、両側に田んぼと黒っぽい灰色の屋根瓦の日本家屋の集落が見える滋賀の風景にいつも惹き込まれるように眺めています。

 

今年1月に大阪から奈良へ大和川沿いに歩く散歩で、行きの新幹線の車窓から田んぼだった場所に麦が芝のように出始めていました。こんな真冬に麦というものは育つのですね。

ここから一面の麦秋になるまでの麦の生活史も麦を育てるための生活史も、知らないことばかりです。

1月のこれから遠出の始まりだという時に、琵琶湖のそばの麦畑を歩いてみたいという次の計画ができてしまいました。

 

3月だと緑一面、麦の穂が揺れている風景になっているかもしれません。1月に思いついた計画を実行することにしました。

 

1日目は4年前に訪ねた米原市立琵琶湖干拓資料館のある米原駅周辺をまず歩いてみようと思いました。

現在はJR東海道線琵琶湖線東海道新幹線が通っているあたりが、おそらくかつては湖との境だったのではないかと思います。

いつもついつい琵琶湖と広大な水田地帯の風景に気を取られていたのですが、東側の山が迫っているあたり、住所で言えば「米原市米原」はどんな感じの街なのだろうということが気になっていました。

 

米原駅を過ぎると両側に小高い山が迫る場所になるのですが、細長く水田が続く干拓地とも違う風景で、そこを過ぎると彦根のあたりからまた広々とした風景になります。

山にはため池があり、たくさんの水路が網の目のように水田を潤し、たくさんの小さな川が琵琶湖へと流れ込んでいます。この琵琶湖の流入河川を全て歩いてみたいというまたまた無謀な計画があるのですが、今回はまず多賀神社のあたりから歩いてみることにしました。

 

しばらく水田地帯を走ると、東海道新幹線はふたたび小高い場所に挟まれた場所を通過します。安土城があったあたりで、その先にまた広々とした水田地帯が開け、沿岸部はあの2020年1月に訪ねた琵琶湖最大の干拓地である大中地区 です。

2018年に久しぶりに東海道新幹線に乗って岡山へ行く途中、この辺りで「近江商人発祥の地」と大きく書かれていたのを見て気になったままでした。ここも水田地帯が広がっていて春は麦の穂が波打っている場所です。

2日目は五箇荘から近江八日市のあたりを歩いてみよう、計画がつながりました。

 

今回の米原から彦根のあたりは、道を歩いているだけで一日に何十本も新幹線を見ることができそうな場所でしたが、さらにホテルの窓から夜も通過する新幹線を眺め放題になりそうです。

 

2020年3月に琵琶湖唯一の流出河川である瀬田川の改修の歴史を訪ねた時に立ち寄った水口城から近江鉄道本線に乗った際、どこからも琵琶湖へと通じているような広い田園地帯と水路が広がる美しい風景が印象に残りました。

最終日はどこを歩こうか考えていたら、ふとその近江鉄道本線日野駅の近くに日野商人街道を見つけました。

近江商人と日野商人、知らない世界が出てきました。ぜひ訪ねてみようと決まり、3日間の計画ができたのでした。

 

琵琶湖をぐるりと一周する鉄道に乗ると県内各地に行ける楽しさ滋賀県の魅力ですね。

 

 

行基さんの時代に大日山を切り取ろうという発想が出てくるぐらい琵琶湖というのは水位の変化が激しい場所だったことを知り、過去の湖沿いの新田開発から干拓事業へ、そして鉄道が通り、現代の新幹線が頻繁に通過する、考えるだけでめまいがしそうな変化を感じる散歩になりました。

 

そしてそこにもまた時代の変化に多少のことでは揺らがなそうな街並みと、一面麦の穂が揺れる贅沢な風景を見ることができました。

 

 

ということでしばらく、3月中旬の散歩の記録が続きます。

 

 

 

*おまけ*

 

米原周辺の散歩を堪能してしばらくした頃、「米原は何もない」と揶揄するニュース記事を目にしました。北陸新幹線を小浜経由にするか米原経由にするかの話題のようです。

 

「ない」と思う人には見えないけれど、あると思う人にはたくさん見所のある場所ですからね。

ここにもまた人が築いてきた生活を「ヒト」「資源」として何か企みがあるのでしょうか。嫌な雰囲気の時代ですね。

 

 

 

 

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