5月19日に放送された「運転席からの風景 のと鉄道の桜」(NHK)を録画したのですが、あの幻想的な能登半島の風景の理不尽すぎる現実をみることができずに、そのままになっていました。
先日、ようやく観ることができました。
懐かしい沿線の桜と春の美しい風景に惹き込まれました。あの真っ黒な瓦屋根のどっしりした家々は健在で、ところどころブルーシートで補強していたり、線路に新しい砂利が白っぽく見える以外は、懐かしいあの風景でした。七尾や穴水など大変でしたが、沿線は案外と耐震性が強い街並みのように見えました。
過去の災害から乗り越えてこられた経験が生かされているのでしょうか。
ああ、これなら案外と早く能登半島を再訪し念願の珠洲市まで行けるかもしれないと、地図で珠洲市内の施設をクリックすると軒並み「休業」でした。
7月1日は、「あの災害から半年」ということでさまざまな映像が流れました。
その中で、珠洲市内ではまだ水道が復旧していないことが伝えられていました。給水場まで出かけ、あるいは自衛隊が設営した銭湯まで入浴に出かける生活のようです。自衛隊の皆さんも、半年の間、ずっとこうして水を補給してくださったのですね。
水汲み場にいた女性が、「ここは早期復旧困難地区だから、まだ水が来ない」とおっしゃっていました。
*能登半島地震の上水道の復旧状況*
珠洲市のホームページによると、5月31日現在、「宝立浄水場」「大谷浄水場」「清水浄水場」の計1,076戸が「早期復旧困難地区」に該当するようで、「建物倒壊、道路通行不能、土砂崩れ」の理由で浄水場が再開できないようです。
6月25日付で出された内閣府防災情報の「令和6年能登半島地震に係る被害状況について」に、上水道の被害状況と復旧した時期がまとめられていました。
それをみると、ほとんどの地域が地震後2~3日から遅くとも1ヶ月以内に上水道が復旧しているのですが、あの状況ですごいことだと思いました。
穴水町(~3/4)、能登町(~5/2)、内灘町(~4/18)、志賀町(~3/4)と、珠洲市・輪島市(~5/31)と、被害がかなり深刻そうだった地域は時間がかかりつつも概ね復旧したようです。
水がなければ、日常生活に戻れないですからね。
その中で、まだ断水が続く地域のニュースがありました。
半年経っても変わらぬ街並み・・・約3mの津波が襲った珠洲市鵜飼地区の今
(石川テレビ、2024年7月1日)
珠洲市の鵜飼地区などでは、今回の地震で津波による大きな被害を受けました。
珠洲市の鵜飼地区は元日の地震ではおよそ3メートルの津波がこの地区を襲いました。
地区の避難所で1月6日から半年間、ほぼ毎日行われているのが自衛隊による入浴支援です。
自衛隊の災害派遣は東日本大震災を超えて、過去最長となっています。
住民は:「ここは広くて、あっさりしていい。1週間に2回くらい来る」
陸上自衛隊第14普通科連隊安田和生さん:「これからも珠洲や能登半島の被災者の人たちと寄り添っていって、最後まで支援していきたい」
風呂に来るのは避難所にいる方だけではありません。
石川県は早期復旧困難地区を除いて断水が解消したと発表していますが、市内では依然970戸で断水が続いています。
また、水道管の工事は完了しても自宅の敷地内の配管が壊れていて水が使えないお宅がまだ多くあります。
こうした方たちにとっても、入浴支援は欠かせないものとなっています。
半年が経った今も住民の皆さんは不自由な暮らしを強いられています。
地震発生から半年間変わらずに必要とされる入浴支援、地震発生から半年間変わらないふるさとの街並み。
本当に復旧のスピード感は正しいのか考えることも必要です。
最後の一文に、忍耐強く越えてこられた方々の強い憤りが感じられました。
*「早期に復旧が困難な地区」*
東日本大震災以来、災害時にはライフラインの復旧の見通しが気になってニュースを追うようになりましたが、「早期復旧困難地区」という用語は初めて耳にしました。
唯一、「兵庫県南海トラフ巨大地震・津波被害想定(概案)」という資料の中で一箇所使用されているのを見つけました。2014(平成26)年のもののようで、「1ヶ月」を目安にしているような使用方法でした。
今回の能登半島地震では4月ごろから「早期に復旧が困難な地区」という表現が使われ始めています。
もしかして、ただ単にそれを省略して「早期復旧困難地区」にしたのかと思うほど、定義が見つかりませんでした。
珠洲市と輪島市で断水が続いている理由は何なのか、気になっています。
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