記録のあれこれ 177 犬上川そばの石碑

新幹線の車窓から見える米原の美しい水田地帯は戦後の干拓によるものだと知りましたが、彦根のあたりから安土城のあたりの広大な田園風景は、山からの豊富な水による昔からの田園風景なのだろうと思っていました。

 

犬上川右岸で見つけた石碑の碑文を帰宅してから読み返すと、想像もしていなかった歴史が書かれていました。

 

  

 犬上川右岸の敏満寺・尼子・猿木村、約一三〇町歩(一一二〇ヘクタール)の田用水は、ここニノ井用水路から流下した。

天平勝宝三年(七五一)、奈良東大寺の庄園に墾田されて以来、この用水は農耕の根原であり地域の生活を支えてきた。

 延宝四年(一.六七六)、奥地山林の荒廃による水枯れと、犬上川の河床低下により上流に一ノ井堰が設けられた。

 以来昭和二十一年(一九四六)、犬上ダムが完成するまで二七〇年間、一ノ井堰と水の分配について激しい水争いが繰り返されてきた。

 それは史書にも残る悲惨な哀しい物語りであった。

 今ニノ井用水路が閉じられるにあたり、一千二〇〇年の来歴を回顧し、祖先が苦難の跡を偲び、起して後世に伝えんとす。

平成拾年五月   敏満寺會議所  

 

1946年(昭和21)に「犬上ダムが完成するまで270年間、一ノ井堰と水の分配について激しい水争いが繰り返されていた」

「一ノ井」は、あの三川分水公園から金星地区を歩いたときに見つけた「一ノ井幹線水路」と関係があるのでしょうか。

 

 

1998年(平成10)、どんな理由でニノ井用水路が閉じられてこの石碑を造ることになったのでしょうか。

 

あの時に道を渡って石碑を見にいかなければ、豊かな田園風景の印象のままその水争いに関心を持つことがなかったかもしれません。

見落とさなくて良かったと思いながら、当日写したその石碑の写真を眺めています。

 

 

 

「記録のあれこれ」まとめはこちら