帝王切開について考える 10 <赤ちゃんとの対面>

「赤ちゃんとの対面」って、日常ではきっと変な日本語に感じるかもしれませんね。医療現場では、生まれた赤ちゃんをお母さんに会わせるタイミングや方法という意味です。


1980年代末に助産師になってから数カ所の分娩施設で働いてきましたが、年代によっても施設によっても、帝王切開術の時のこの赤ちゃんとの対面はさまざまだと感じます。


記憶に頼った部分なので不確かなのですが、ひとつは総合病院と診療所の違いがあるかもしれません。

<総合病院での児との対面>


勤務していた総合病院では、帝王切開術というのは手術室で実施していました。
産婦さんを手術室に移送し、そのまま病棟の助産師が赤ちゃんを受ける役として残ります。


産科医から赤ちゃんを受け取ると、手術台から少し離れたインファントウオーマーにすぐ載せて、羊水や血液を拭き取ったり、呼吸や全身状態が安定しているかどうかをチェックします。


分娩にしても帝王切開にしても新生児が生まれるということは常に蘇生法の準備が必要なのですが、特に帝王切開の場合は、緊急帝王切開であれ予定帝王切開であれ新生児の状態が悪くなりやすいリスクがあります。


まずは新生児の状態が安定することを最優先にしていました。


そして落ち着いたところで、お母さんに赤ちゃんの顔を見せて安心してもらったところで、すぐに病棟へ先に赤ちゃんを連れて行きます。


病院によっては、そのまま帝王切開で生まれた新生児は全員、翌朝までは保育器に入れることが決まっていた施設もありました。
これは、経験的にも特に予定帝王切開で出生した赤ちゃんが出生後数時間ぐらいで低体温や多呼吸を起こしやすいため、保温と観察の重要性が優先されていたからです。


お母さんが赤ちゃんに会えるのは、翌朝からでした。


1990年代半ばから2000年近くになると、少しずつ変化があったと記憶しています。


手術室でも、赤ちゃんと直接触れてもらうようにお母さんの顔や手の近くまで赤ちゃんを近づけるようになりました。
それまでは、手術台付近は厳しい清潔区域なので赤ちゃんを連れて助産師が近づくこともはばかられる雰囲気がありました。


また翌朝まで保育器で赤ちゃんを管理する施設でも、お母さんが手術室から戻って落ち着いたら赤ちゃんを一旦保育器から出してお母さんに抱っこしてもらったりするように変化していきました。


<診療所での帝王切開術>


2000年代に入って、私は小規模な産科診療所で働くようになりました。


一番といってよいほどの総合病院との違いは、帝王切開でした。
分娩室でそのまま帝王切開をしますし、スタッフも手術室看護師と助産師ではなく、全員が顔なじみのクリニックの看護職ですから、赤ちゃんとの対面のタイミングや方法なども自由にかなり融通がききました。


また分娩台の近くにインファントウオーマーを常時置いてありますから、帝王切開で生まれた赤ちゃんをお母さんもずっと見ていることができます。


インファントウオーマーのこうした手術室との配置の違いだけでも、お母さんには赤ちゃんとともにいる実感が違うのかもしれません。


こうしてお母さん、赤ちゃん双方に無理のない方法で対面する方法がそれぞれの施設で工夫されて来たのが、1990年代以降だったのではないかと思い返しています。


ところが2000年代に入ると、これらもまた「すべきもの」に変化したような印象があります。