5月のゴールデンウィーク明けに備前・備中の用水路と干拓地を訪ねる散歩に出かけましたが、とある駅で女性の怒鳴り声というか悲鳴のような声が聞こえて、「すわ、事件か」と緊張しました。
叫び声の方を確認すると券売機の前で、インターホン越しにみどりの窓口のスタッフとやりとりをしていました。
「話せる券売機」は、ここ数年全国へと出かけている中でよく見かけるようになりました。
駅員さんがいる駅だと、これまでは定期券や特急券などを近くの駅で購入できていたのだと思いますが、この機械に置き換わって自分で操作するタイプになってきました。
すぐ近くの部屋に駅員さんがいる駅でも、発券に関することは電話でコールセンターとやりとりするような感じです。
コールセンターも何箇所からかの対応をしているようなので、なかなか出ないような様子でした。
手間取っていると、列ができ始めて焦りそうですね。
その話せる券売機でさえ最寄りの駅になければ、切符を購入するだけで半日がかりの1960年代頃に戻ってしまいそうです。
*みどりの窓口業務が少しずつ機械に置き換わる*
2019年に久しぶりにみどりの窓口を使った時に、何時間も悩みながらあらかじめ記入した「ご希望の列車・きっぷ」申し込み用紙を見て、駅員さんがものの数分でその乗車券から特急券まで発券してくださったことに感激しました。
1960年代から70年代ごろの手作業の発券業務が記憶にあるので、まさに隔世の感ですね。
ちなみに電車通勤を長年しているのですが、2交代の夜勤だと一回の出勤が2日間にまたがるため定期券はそぐわないので、ずっとみどりの窓口や種々の発券機とも無関係でした。
十数年まえに母が入院して週に2~3回新幹線を使って面会に行った時に、新幹線の発券機には慣れました。
最初はとても緊張しましたね。
そんな時にいつも思い出すのが、椎名誠さんが久しぶりにJR在来線の切符を買おうとして券売機の使い方がわからなくて戸惑った話です。彼がまだ50代ぐらいで、車を乗りこなし海外のあちこちに出かけていた頃で、反対に日頃使っていないものはわからないのは当然だと納得しました。
人はあんがいと「最初自分ができなかったこと」は記憶の彼方にいってしまい、最初からできているような気分になりやすいですからね、仕事も。
みどりの窓口を利用しないで遠出に出かける場合には発券機を利用していますが、知らない使い方があって「そうだったのか」と驚くこともありました。
あの機械本体だけを見てパッとその機能がわかるなんて、よほど使い慣れている達人級の人でしょうし、数年もすると機械もまた変化していますからね。
その達人級の人も最初使うときには初心者ですし、多くの場合初心者から達人級になるほど使う機会もなくて、ごくたまに乗車券などを購入しなければならない人がみどりの窓口を必要としているのだと思います。
遠出を始めてしばらくした頃、指定席の便を変更しようと窓口に行ったところ「機械でもできますよ」とやり方を教えてくれました。
そうそう、やはり教えてくれる人の存在が大事なのですよね。
今、達人級にサクサクと自分でチケットを予約したりチケットレスに対応している人も、20年ほどすると、どんな社会になっているか想像がつかないことでしょう。
ああ、そういえば1980年代から2000年代初めまではひとりで海外に行っていたので自分で航空券を手配し、出入国の対応も自分でやっていました。
四半世紀たった今、あまりに浦島太郎すぎて国内線でさえ飛行機の乗り方がわからなくなりました。
人生の中で、乗車券を購入する機会ってどれくらいでしょう。
初心者から達人レベルまでその購入頻度がさまざまな社会で、いきなり誰もがなんでも機械を使いこなせなければならないという変化は、やはり急ぎすぎだろうと思いますね。
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