助産師の世界と妄想 32 <「正常」へのこだわりがあちこちからハシゴをはずす>

臨床で働いている多くの助産師や看護師が経験した症例報告から必要なケアを探り当てるというシステムがない助産師の世界は、いつの間にか力を持った団体が現場のニーズとは程遠い研修や制度を作っていくことが、乳腺炎の診療報酬の件でもわかりました。


そしてある日突然、私たちの臨床の苦労や経験が政治や運動に利用される。
利用されるだけならまだしも、一部の人たちのハシゴを外すことを平気でするのだと。
本当に助産師の世界には「奥の間」があって、助産師の方向性に関して決めている人たちがいるのですね。この「奥の間」を感じた2012年には、まだアドバンス助産師という言葉さえなかったのですけれど。


さて、「時間外対応加算」で書いたように、夜間・休日を問わず分娩施設に電話が入る中で多いのが産褥乳腺炎と思われる症状です。
全国の産科施設で、今までどれだけの助産師・看護師が対応に試行錯誤しながら経験を重ねてきたことでしょう。
時には重症化し切開排膿まで必要な状況になったり、乳腺炎での対応にも「こんなことがあるのか」という経験の中から、「いつ、どのタイミングで、どのような説明をすれば乳腺炎を予防できる」というあたりまで個人的体験談が相当蓄積されているはずです。
だからこそ、今までなんとか各施設の看護スタッフが電話で対応したり、来院してもらって排乳したりアドバイスをしてきたのだと思います。


残念ながら、その経験(症例報告)を集めて、法則性を見出す能力が助産師の世界には育っていなかったのですね。
いまだに、乳腺炎のケアについてまとめることさえできていない。
私が助産師になって30年もたつというのに。


出版物の中で、比較的よくまとまっていると思われたのがこちらの記事で引用した、「母乳哺育と乳房トラブル対処法 乳房ケアのエビデンス」(立岡弓子氏著、日総研、2013年)でした。
タイトルも母乳育児ではなく母乳哺育という表現にしたことも、看護を一般化するための科学的な表現だと思いました。
ただ、これもまだ総論がようやくまとまったという感じで、各論まではまだ遠い内容で、今後の続編を期待していました。


その後、2015年には日本助産師会出版から、「母乳育児支援業務基準 乳腺炎2015」が出版されています。
乳腺炎の対応に加え、乳房ケアの考え方や母乳育児支援の基本的な考え方を明示」「エビデンスに基づく乳腺炎の対応に焦点をあて」とありますが、私は購入していません。
なぜなら、開業での母乳相談事業にはたくさんの方法論が林立した状況が相変わらずある状況で、「エビデンスに基づく」内容をどうやって導き出したのかという疑問があるからです。


<どれだけのはしごを外すのだろう>


さて、2018年診療報酬改定に伴って、「乳腺炎重症化予防ケア・指導料」が作られました。
施設基準を再掲すると、以下のようになります。

(1)当該保険医療機関内に、乳腺炎の重症化および再発予防の指導並びに乳房に係る疾患の診療の経験を有する医師が配属されていること。

(2)当該保険医療機関内に、乳腺炎の重症化及び再発予防ならびに母乳育児に係るケア及び指導に従事した経験を5年以上有し助産に関する専門の知識や技術を有することについて医療関係団体等から認証された専任の助産が、1名以上配置されていること。

「当該保険医療機関内」「医師がいる」という条件から、医師のいない保険医療機関でない助産所の母乳相談は、最初から対象ではないということになります。
いろいろな方法が林立しているとはいえ、助産所が多くの乳房トラブルの対応や育児相談の受け皿になっていたことは事実です。
その事実を切り捨てていくつもりなのでしょうか。



(2)の「医療関係団体等から認証された専任の助産師」とはアドバンス助産師を指すらしいですが、認証の目安となるレベル3には、「乳腺炎の重症化ならびに母乳育児に係るケア及び指導に従事した経験を5年以上」といった内容はなかったはずです。
あくまでも「正常に経過した妊婦を対象にした院内助産助産外来」を目指していた民間資格なのに、なぜ、いまとってつけたように「異常」を取り込もうとするのでしょうか。


最初から「正常と異常の境界線」にこだわらずに医師とともに対応してきた助産師でも、アドバンス助産師でなければ、この診療報酬の蚊帳の外になる。


たぶん、「アドバンス助産師」がいない施設でも、これまで通りの産後の無料電話サービスと2000円程度の自負という支払い方法で対応すれば、お母さんたちへの経済的負担は差がないと思われるので、診療報酬を利用しない施設もあるのではないかと推測しています。



それでも、どれだけの助産師・看護師がこの診療報酬ではしごを外されるのでしょうか。
これまで試行錯誤しながら乳腺炎に対応してきた助産師・看護師よりも、にわかに研修を受けただけでもアドバンス助産師の存在感がアピールされている今回の件です。
本当に、「助産師の世界はこれだから」といいたくなる話でした。





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